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by 森一馬
書家である金森朱音さんと出会ったのは2018年。アパレルのセレクトショップを運営していたころ、原宿のファッションビル、ラフォーレ原宿で名古屋のお店と合同ポップアップストアを開催し、そこに遊びに来たのが金森さん。その時作品をインスタグラムで見せていただき、是非何かコラボレーションしたいと意気投合...
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by 森一馬
「ついにこういう作家が出てきたか。」これが布下翔碁さんの作品を初めて見た時感じたことだ。私は音楽畑に約15年間いて、その後ファッション畑にいたのだが、音楽では我が国においては90年代には、主にヒップホップにおいてサンプリング(過去の曲や音源の一部を流用し、再構築して新たな楽曲を製作する音楽製作...
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by 森一馬
「父は作陶の時は仕事場に鍵をかけて、同じく陶芸家であった母や私もそこに入れることはありませんでした。私が陶芸を始めると言った時も『私は教えないから他で習いなさい』と。ただ旅立つ少し前に突然父に呼ばれ『これだけは伝えておきたい』と、いくつかの作風の技術について教えてくれました。父にしっかりと技術...
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by 森一馬
もう1年以上前だったか、毎日チャットするほど仲良くさせていただいている海外のお客様から「ところでMasahiko Imanishiは取り扱わないのか?」というチャットが飛んできた。酒器は持っていたが、その時はまだ今西さんの茶碗に直接触れたことがなかったため、「茶碗を持ってみて考えるよ」といった...
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by 森一馬
窯と土を初めて最初に美濃を訪れた時、真っ先に向かったのが可児の荒川豊蔵資料館だった。あれから約3年。志野を探し求め、まさか同じ場所に還ってくるとは夢にも思わなかった。
同じ場所といっても今回訪れたのは荒川豊蔵先生の陶房から車で2分、奥磯太覚さんの陶房。志野誕生の地と言われる大平古窯跡群から...
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by 森一馬
「森さんに会いたがっている陶芸家がいますよ」という話を昨年よりチラホラ聞くようになった。こういう仕事をしていると、ありがたいことに様々な作家からDMやメールをいただくが、「会いたがっている」というと勝手な想像で何か求愛されているようで気恥ずかしくもあり、嬉しくもある。そして日本橋三越でのRoo...
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by 森一馬
小林勇超さんの紹介文で、あれだけスピリチュアルに興味はないと言いながら、またしても少しスピリチュアルなお話になってしまうが、今回筆者の掌レーダーが反応したのは塚本治彦さんのお茶碗。いつも通り失礼ながら全く予備知識無くお邪魔させていただいた塚本さんのお話を伺う中で、塚本さんのお師匠さんが、なんと...
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by 森一馬
はっきりと言うが、川瀬隆一郎さんの作品は窯と土がオープンした頃に比べ劇的に良くなっている。何を偉そうにと言われそうだが、そう感じるのであるから仕方ない。作品に迷いがなく、枷が外れたかのよう、思うがまま作陶しているだろうことが作品に表れており、非常に気持ちが良い。そう、見ていて気持ちが良いのであ...
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by 森一馬
先日インスタグラムの投稿に書かせていただいたが、今回Rootsで展覧会を開く三人の陶芸家は、皆さん師匠に付かず独学で陶芸を学ばれた陶芸家ということに気づき、非常に驚いた。窯業地育ちでも無く、何代目等でもない、協会等にも属さない陶芸家が知名度を得るにはどれだけ難しいことか、筆者も色んな陶芸家から...
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by 森一馬
本歌の大井戸茶盌に触れる機会があった。本歌といっても、いわゆる名だたる大名物碗ではなないのだが、とある有名教授が数年前まで保持していた、伝来のしっかりとした間違いのない本歌だ。前所有者が毎日使っていたというその茶盌の見込みには茶渋がしっかりと付き、茶筅ずりの辺りにはっきりと現れた不揃いな貫入に...
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by 森一馬
桃李不言。下自成蹊。桃やすももの花が咲くところには、何も言わなくても人が集まり、自ずと径が出来る。
基本的にスピリチュアルをあまり信じていない現実主義の筆者だが、こと茶碗においては、時に掌(たなごころ)を伝って何か念のようなものを受け取ることがあると感じることがあり、それ至っては受け取った...
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by 森一馬
「天目って基本、作品の出来を安定させるために電気窯などで計算を重ねて狙って作る焼き物で『えらいもんに手だしたな』と言われるようなものなんですが、僕は家に穴窯があったり、焼締めを見て育ってきたので、これを穴窯に入れて焼いてみるという、普通からしたら無謀なことを、あまり特別なこととは考えずやり始め...
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