西浦武 追悼展に寄せて
by 森一馬「父は作陶の時は仕事場に鍵をかけて、同じく陶芸家であった母や私もそこに入れることはありませんでした。私が陶芸を始めると言った時も『私は教えないから他で習いなさい』と。ただ旅立つ少し前に突然父に呼ばれ『これだけは伝えておきたい』と、いくつかの作風の技術について教えてくれました。父にしっかりと技術的なことを教えてもらったのは、その時が初めてだったと思います。」
西浦武さん。無骨で真っ直ぐ、そしてどこまでも謙虚な越前の名工の訃報を耳にしたのは、ちょうど昨年の当店の周年が終わり京都から戻ってきた頃。ご生前武さんより、娘さん(朋子さん)が越前陶芸村におられると伺っていたので、すぐにコンタクトを取らせていただき、その残念な知らせが事実であることを知った。
その後福井県陶芸館にて行われた追悼展のご案内をいただき、初めて朋子さんとお会いして伺ったのが冒頭のお話。私が武さんに最初にコンタクトさせていただいたのが2023年の春。それから1年半の間で、お会いできたのも数回程度。しかしなんだか、そんな感じがしない。2023年、最初に工房へうかがった際はインタビューをお願いしたのだが「私はそんなインタビューされるような人間では無いですから。しかしあなたが勝手に書いたということであれば、それはあなたの仕事ですから、私も何も言えませんので。」と、無骨で謙虚な武さんらしい言い回しで様々な質問に気さくに答えてくださった。その時のインタビューを読み返し、そして冒頭の朋子さんのお話を伺い今になって考えると、常に謙虚な姿勢は決して自虐的なわけではなく、並々ならぬストイックさがそうさせていたのだなと思う。
福井県陶芸館にて開催された西浦武 追悼展
その後脇谷窯にて作品を拝見させていただき、その力強さと美しさに感動し、そして作品の素晴らしさに対し、価格があまりに安いことに驚愕した。私は海外で武さんの越前壺が100万円近くで取引されていることを知っていたし、しかしそれを決して過大評価とも思わず、作品に対し相応な価格だと感じていたため、さすがに少し価格を上げたほうが良いと提案すると、武さんは「箱が出来るまでに考えます。」とおっしゃった。その後ホテルに戻る道中、武さんより着信があった。別れてほんの5分後ほどだったため、私はなにか忘れ物でもしたのかなと電話を受けると「考えたのですがやっぱり私はそんな素晴らしい先生では無いのです。それにやっぱり普通に働いている方が少し手を伸ばせば買える値段でありたいので、値段は上げないでそのままでやってください。」と。5分にも満たない時間でそんな答えが返ってくるほど真面目で謙虚、そして自分を曲げない、そういったお人柄であるからこそ、越前焼を追求し、誰もたどり着けない境地へたどり着けたのだろうと深く思う。
作品を送ってくださるときには、必ず手紙を一緒にくださった。忘れられないのがある時の手紙の末尾に書かれた文章。「窯と土という名前を聞くたびに、私の中で『カマトトはやめてよ』という言葉が浮かんできます。私はそんなおかしなことを考える人間なのです。」と書かれており、思わずクスッと笑ってしまった。そんなユニークな一面をお持ちだった武さんの言葉は、ネット上ではなかなか見ることができないが、「父は個展のたびにいつも言葉を残していました。」と朋子さん。追悼展の会場ではあらゆる場所に、過去の個展で記された武さんの言葉が掲げられていた。その一部をこちらに紹介する。
展示会場のお隣、越前古窯博物館の旧水野家住宅(越前焼研究の第一人者であった水野九右衛門さんの旧住宅を移築した建物)にて、お茶をいただいた。お菓子は武さんが愛したという朝日風月堂の田舎まんじゅう。
そしてこの度、僭越ながら当店にて「西浦武 追悼展」を開催させていただく運びとなった。武さんの訃報を知り、私はいち人間として「もう会えないんだ」という深い悲しみに直面するとともに、ギャラリストとしての自分が「何もしなくていいのか?」と常に語りかけてきた。私は茶盌が好きで、作家の顔や名前を思い浮かべると、その作家の作った茶盌の感触が同時に浮かぶため、その感覚を元に作家をセレクトしたりするのだが、武さんの作品は、力強く厚みがありパワフルでありながら、感触は柔らかく、使いやすく、そして有り難い。私の語彙力の無さもあり、言葉にすると非常に陳腐に感じるので、あまりこういった感想を記したくないのだが、様々な作家の茶盌に触れる中で、ある一定の年齢や経験を経ないと感じられない円熟味のようなものを作品から感じることがある。武さんの作品はどの作品からも、まさにその円熟味が触れた瞬間から感じられ、それがその素晴らしい色合いや造形をも超越した感動と有り難さとして自分の中に残る。その熟練した作家のみが表現できる凄みを自分が感じられているのだとしたら、ギャラリストとして自分ができることは、やはり一人でも多くの方に、私が感じた西浦武の粋を共有していただきたいということ。福井の土を用いた様々な作風が広がる現代の越前において、古越前をルーツにこの境地までたどり着いた唯一の現代作家といっても過言ではない武さんのヘリテージを、本当に一人でも多くの方に感じ取っていただきたいし、そういった機会を与えていただいたのは、ギャラリスト冥利に尽きる想いである。
最後に、大変恐縮ながら私の以前書いた記事の一部が福井の追悼展の寄稿文に引用されていたので紹介させていただく。
まさにここで学芸員の小泉さんが語った「だから次は」が証明されるエピソードを朋子さんが教えてくださった。「亡くなる直前まで父は、次もっとこうしたら良くなるんじゃないかとか、次の窯焚きのことを考えていました。」私は思う。武さんはきっと今も、天国で奥様と「まだまだ上手くならんなぁ、だったら次はこうしてみよう。」と思い悩んでいるだろう。
「西浦武 追悼展」は4月20日(日)12時より開催いたします。
昨年11月、惜しまれつつ逝去された西浦武さん。
越前の地で50年にわたり作陶に取り組まれ、古越前を基盤としながらも独自の技法を取り入れ、多彩な作風を生み出してこられたまさに越前を代表する名工です。
その軌跡を偲びつつ、心を込めて選んだ作品を紹介いたします。
ぜひこの機会にご高覧いただけましたら幸いです。