【小町艶技】吉見螢石の現在地
by 森一馬吉見螢石さんと初めて会ったのはちょうど4年前の秋。窯と土を始めてまだ1年ほどが経った頃だった。
当時の記事を読み返すと、最初に作品に触れた印象を、今の時代には少し不適切かもしれないが「男勝り」と書いている。それほどまでに、吉見さんの作品から受けた印象は強烈だった。現在の作風の中心となっている赫変須恵(当時は窯変須恵)や粉引の作品は、まさに、穴窯の前で険しい表情のまま薪を放り込む、作務衣姿の陶芸家が作るそのものだった。
「あの頃の私は、須恵器はこうじゃなきゃいけない、という思いがとても強くてどこか型にはまっていたと思います。須恵器を再現したい、しなければならないという気持ちが先に立っていて、自分のオリジナルを作ろうというところまではまったく考えられていませんでした。ただ森さんと出会い、窯と土さんで窯変須恵やカセ黒などの茶盌や酒器を発表してもらって、それを面白いと言ってくださるお客様がいるんだ、ということを実感したんです。そこからすーっと『こうあるべき』という固定観念が外れていって、作陶が楽しくなってきました。」
2024年の春には、川瀬隆一郎さん、金宗勲さんとともに日本橋三越の「−Roots 三人展−」へ出展。井戸茶盌や粉引茶盌など、多くの茶盌を披露し文字通り茶盌愛を爆発させた。
「茶盌って本当に難しくて、どれだけ大きな陶壁や壺が作れても、茶盌が思うように作れないと長い間思っていました。でも金さんや川瀬さんとの展示を通して、やっぱり私は茶盌を作りたいんだと、心底思いました。お皿や酒器も好きで作っていますが、陶芸家である以上、茶盌が作れてこそだと思っています。きっとこれからもずっと変わらず追い求めていくものだと思います。」
その三越での展示には、赫変須恵をさらに進化させた新たなオリジナル「淡変須恵」の茶盌や酒器も並んだ。洋梨を思わせる淡い色調に青が美しい淡変須恵と、赤や青の窯変が力強く現れる赫変須恵。この二つの作風は、吉見螢石を象徴するものとなっている。
「須恵器はこれからも追い求めていきますが、今は写しを作っているという感覚は無く、須恵器の手法をベースに自分の作りたいものを作る、という感覚に変わっています。オリジナルを作るようになると、この窯のこの場所は赤が出るから赫変はここに置こうとか、想像がどんどん広がっていくんです。淡変も、以前は赫変を焼き直して作っていましたが、今は穴窯焼成だけで作れるようになりました。次はこうしたい、こうやってみようと自然にアイデアが湧いてくるんです。」

節々で会話を重ねるなかで、吉見さんの考える「偶然性」について、私は深く理解している。釉掛けから窯の中での配置までを徹底的にシミュレーションし、そのうえで最後を窯に委ねる姿勢は、三藤さんとも通じる、作家としての強い姿勢を感じさせる。
しかし初めてインタビューした頃、吉見さんは作陶の楽しさよりも苦しさを多く口にしていた記憶がある。しかしここ最近電話などで話していると、耳にするのは前向きな言葉ばかりだ。
「おかげさまで今は本当に楽しいんです。一人で土と向き合いながら自由に茶盌を作って、ああでもないこうでもないってやっている時間がこんなに幸せなんだなって。
以前は窯出しが本当に怖くて苦痛なこともありました。でも今は、どんなものが出てくるだろうって楽しみの方が勝っています。それはやっぱり『こうじゃなきゃいけない』という固定観念を取り払えたことが本当に大きかったと思います。自由に作ってもいい、受け入れてもらえるんだと気づけたこと。窯と土さんとその先のお客様には、いつも感謝しています。」
窯業地出身でもなく、書から陶へと惹かれながら須恵器を作り続け、一歩ずつ自分なりの表現に辿り着いてきた吉見螢石さん。写しに向き合ってきた時間を経て、いまは須恵器の技法を土台に、自分の作りたいかたちを素直に追いかけ続ける。少しずつ視野を広げ、自分の手で次の一歩を探し続けている吉見さんのその現在地は、これから生まれてくる茶盌の中に、きっと静かに表れていくのだと思う。
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