茶箱を彩る仕覆の世界 ~多田けい子さんを訪ねて~
by 森一馬
ファッションの世界、いわゆる承認欲求の最前線のような世界に長くいた筆者のインスタグラムのアカウントは、世界中のインフルエンサーと繋がっている。「プラダを着た悪魔」という映画があるが、たしかにあれは見ていて少しオーバーな気がしないでもないが、世界中のファッションウィークに行くとまさにあのような魑魅魍魎とした世界が繰り広げられている。目立ってなんぼ、撮られてなんぼ、バズってなんぼのインフルエンサーの世界。そんな彼らのプロフィールはよく作り込まれているため、インスタグラムを開きみんなの投稿を見ていると、常にバズというベクトルに向かって一直線に繰り広げられている「バズリンピック」を見ているような気持ちになる。
そんなバズリンピック絶賛開催中の日々の中で、インスタグラムのおすすめに突如現れた茶箱の写真。すぅっと惹かれてページをスライドすると、茶箱の中にお行儀よくピッタリと収まった茶道具たちと、茶器、仕覆それぞれの写真が計算しつくされたように完璧な画角で撮られ、並べられていた。筆者のフォローするバズリンピアンのすべてを凌駕するほどインパクトがありながら、それでいて全く作為的でなく、愛に満ちた写真に衝撃を受け、すかさずプロフィールに飛ぶと、「仕覆と茶箱制作、Kanazawa Japan」の文字が。もちろんパリでもミラノでもなく、そこは筆者の故郷金沢。スクロールすると、ページを彩る茶箱や花、植物等の写真はどれも唸るほどに美しく、フォロワーを何十万人と持つどのファッショニスタの投稿とも一線を画する、気品ある完璧な世界観を作り上げている。この人は凄い。それから毎日インスタグラムを開く度に「今日はどのような写真がアップされるのか」と勝手に期待するようになった。
多田けい子さん。金沢で仕覆や茶箱を制作する仕覆作家。最初にようやく彼女のもとを訪ねたのは昨年の夏。窯と土がオープンする少し前のことだ。これから茶道具やぐい呑を扱うのであれば、仕覆を作りたいという方もいらっしゃるだろうし、何なら自分の使っている茶碗の仕覆をどうしても作っていただきたい。そのような気持ちが恐れ多さを上回るには少し時間がかかったが、勇気を持って思いをストレートに伝えたところ、「金沢出身の方がそのようなワクワクする取り組みを初められるということは、本当に嬉しいこと、一度お会いしましょう」と快く受け入れてくださった。
「『茶箱あそび』という本を見つけたのがきっかけですね。それを見た時に自分がこれ本当にやりたいって思ったんです。」
それまでカルチャーセンターで仕覆体験をしたり等、仕覆を作る機会はあったのだが、その気持ちを一気に高めたのがその一冊の本だったという。
「昔から小さなものとか可愛いと思うものを集めるのが好きで、その時すでにそういうものはたくさん持っていて。その本を読んだ時、見立てで色んなことができる!と思ったんです。茶道具とかそういうものだけじゃなく、好きに見立てて良いんだって、そう思ったら楽しくて仕方なくなっちゃって、1年間で茶箱を13個も作っちゃったんです(笑)」
今では趣味としてご自身で45個もの茶箱を組み、お持ちだという。もともと大学で美術史を専攻していて、現代アートやファッションにも精通する。煎茶や茶道に加え、インテリアコーディネーターの資格などもお持ちの彼女ならではのセンスで造られる仕覆、そして組み合わされる茶箱はどれも唸るほど美しく、まさに独自の世界観を持っている。
「お洋服でもそう、森さんおわかりだと思うけど、高いものを着てれば良いってわけじゃないじゃないですか。その人に似合うとか、組み合わせとか、そういうもののほうが大事で、仕覆を作るときにも同じ。ただ名物裂を使うだけじゃなく、そのお茶碗ならお茶碗に合う裂を使うほうが良いわけで。もちろん、従来の決まりや良さは踏襲した上で、私が良いなと思ったものを作っていきたい。そのために基本は大切にしなきゃいけないと常に心がけています。だから私はこの先ももっともっと勉強していかなきゃと思っています。」
お持ちの茶箱を見せてくださいと言った瞬間、それまで淡々と話していた多田さんの表情がぐっとほぐれた。いくつかの茶箱を並べて、一つ一つテーマや用途を説明してくださる。これは煎茶用でイメージはこう、これは抹茶用、急にスイッチが入ったかのように楽しそうに説明する姿は、まるで少女のよう。
「茶箱って、中に入れるものは決まってるじゃないですか。例えばお抹茶用なら茶碗、振り出し、茶巾筒とか。ただ単に色んなものを箱に収めればいいというわけではなく、そういった成約がある中でこれはこれに見立てて、こっちはこれにと合わせて行きながら、テーマに沿って全体が調和するように仕覆を作る。それらがピッタリ箱に収まって一つの世界観が作れるって、なんて楽しいんだろうって。」
2013年に初めての個展を開き、3度の個展を経てインスタグラムのアカウントを開設。& Premium (アンド プレミアム)にご自身のインタビューが掲載されたり、その他雑誌等で紹介されるごとにフォロワーが増えていき、今や2万7千人ものフォロワーを持つ。しかし毎日美しい写真のクオリティを保つことが容易ではないことは、筆者もよくわかっている。
「私もなんでこんなに一枚写真撮るのにこっちかな、どっちかなって一人で何やってるんだろうと思う瞬間もあるんです。だけど、例えばこの花がなんでこんなに綺麗なんだろうって、ちゃんと見てくださる方に伝えたいじゃないですか。」
言葉にすると簡単なことなのだが、それを実践するのが非常に難しい。筆者こそまさに写真で作品の良さを伝えなくてはならない役割の人間だが、日々彼女の投稿を見るたび、大いに反省する。そして仕覆の制作も同様に、受け取る側がどう感じるかが彼女にとっては最も重要だ。
「やっぱり良いなって感じて貰えることが一番大事で、そのために大切なのは、まずは中身の道具にいかにマッチするものを作るか。そして依頼していただいた方の性格とか好みが分かる場合は、この方ならこの裂地よりこっちを使ったほうがお似合いになるかなとか、そういうことを考慮に入れて裂地を選びます。何よりも受け取った方がそれを気に入るかどうか、そこを考えながら一点一点制作していきます。」
一言に裂地といっても、正式な名物裂だけでも多くの種類が存在するし、またそうでない裂を使う場合は本当に無数の選択肢が存在する。その無数の中から依頼者の好みに合った一枚を導き出し、道具に合った寸法や形に仕上げて行く。まさに茶道具や酒器のオートクチュール。
「だからこそ色々なことを理解していなければいけないと思います。これはどんな事でも同じですが、基本をしっかりと出来ていないままカジュアルダウンするのは、私は好きではなくて。私が良いと思うものを作るためにカジュアルダウンが必要なのであれば、だからこそより正式なもの、基本的なことを深く理解していかなければいけない。そのために日々勉強で、ゴールは無いんです。ここまで出来たと思っても、更に先に道は続くわけで、私もより良いものを作っていくためにずっと学んで行きたい、そのように思っています。」
帰り際、彼女の家の前にある大きな五葉松を眺める。はるか昔、一度弱って来た際に、樹木医の先駆者である故・山野忠彦さんに診てもらい、その際に樹齢500年と教そわったそう。それ以来御神木として祀り、ご自宅の守り神となっている。「私達が何を作ったって、何をしたってこの木の大きさとか美しさ、木が持つ歴史とか、そういうものには敵わないだなって。そういうものを眺めてるとなんか、逆に凄く安心するんですよね。」
ご自身で作り出した環境と、古き良き金沢での生活、そして相反するようなSNSというデジタルツールを融合させ、多田さんの世界観は言葉の壁を超え世界に発信され、広がっていく。多田さんの作り出す美しい仕覆作品が、スマートフォンで画面越しに見える彼女の作り出す世界に入り込むアナログツール的役割も兼ねているのかもしれないと思うと、その仕覆が彼女の作るメタバース空間に現れて、そこでの野点が始まって、、、なんて未来も悪くないなと一人夢想に耽けながら帰途についた。