川瀬隆一郎氏インタビュー 崎陽高麗~独自の井戸を一途に創り続ける長崎の陶芸家
by 森一馬井戸茶盌-それは陶芸における、ある意味究極のスタンダードであり、クラシック音楽に例えると、ドビュッシーのベルガマスク組曲のような、スタンダードで誰もが知る作品であるが故に、奏者によるカラーの違いが顕著に出るものであると筆者は思っている。ギーセキングのように表情をつけずサラリと弾きこなすものもあれば、フランソワのように情緒的で絵画のように色づけるもの、またワインセンベルグのように超絶技巧で魅せるもの、時代や弾き手によって全く違う色を見せる部分が面白く、それは井戸を鑑賞する際に我々が感じる作家の意の「読み方」に非常に似ている。当時の陶工の、まさかそのうち1つが後々日本の国宝にまでなるとは考えもしなかっただろう無作為さを意識し、出来る限り作為的ではない中に自分の作風を見出していくもの、井戸から感じるただならぬ妖気を汲み取り、敢えて作為を持って写していくもの、また、井戸の井戸たる要素を技巧的に表現し最大限に引き出していくもの。作品の持つ美しさや存在感はもちろんのこと、作品から作家の意を読むことも現代井戸を鑑賞する愉しみの一つである。
川瀬隆一郎氏の井戸を初めて見た時、直感的に優しい井戸だなと感じた。しかしそれから数ヶ月間毎日氏の井戸を目にする中である時、その中にいわゆる伝統的な井戸をも超えるスタンダードを感じるようになった。優しさの中から沸々と湧き上がる情熱や執着、そして井戸愛。それを確かめたく長崎へ向かった。
まずは作陶する中にあたり、どのようなことがモチベーションとなっていますか?
井戸です笑
もう陶芸を初めた頃から井戸が好きで、とにかく井戸愛に取り憑かれたように気づいたら20年以上やってます。
それはいわゆる井戸のストーリー的なものを含めた上でお好きなんでしょうか?
いえ、あの形や、もうとにかく井戸自体が好きで、どちらかというとストーリーは一応知ってるという程度なんです。とにかくストーリーを知る前から、最初から井戸が好きだった。自分としては特に物語みたいな、喜左衛門を見た瞬間電流が走ったとかそういうこともなく、気づいたら井戸が好きでした。天目茶碗とか他のものを美術館で見ても、色は綺麗だなとかそういうことは思いますが、それ以上の興味は持てませんでした。
インスタグラムを結構長くフォローさせていただいておりますが、井戸をほぼ毎日挙げられてますよね。
昔は井戸が好きなのに、陶芸をやる以上は色々と造らなきゃいけないと感じていて、ある時それがストレスだと気づいたんです。やっぱり好きなことをやりたいと。それで井戸をメインでやろうと決めてから、いろんなことが少しずつ進んできた感じがしています。
そうなんですね。ちなみに井戸茶盌の成り立ちには様々な憶測がありますが、20年以上井戸を愛し続けてきて、その成り立ちにどのような見解をお持ちでしょうか?
若干細かい点で纏まって来ていない部分もありますが、現時点の見解としては、祭器を作っていた陶工集団のテストピースだと思っています。
そうなんですか、それは面白い見解。
当時時代背景的にはどこでも白い土を探してて、日本ではそれが古唐津からの初期伊万里だったと思うのですが、例えば朝鮮でも地方豪族が新たな産業振興として祭器をやりたいと、それで陶工集団を捕まえて、領地内で白い祭器を造らせる。その際に土の伸びとかそういうものを確かめるために作ったものが井戸だったのではないかと思っています。例えば割高台の祭器の曲線美なんかと、井戸の形って共通する部分がありますよね。井戸が圧倒的に数が少ないということや、高台の造りの手早さなど、そもそも何かを目的にしてというよりテストピースとして造ったと考えると合点が行きますし。
それではあの梅花皮は?先日お会いした作家は「あれは偶然出るものではない」と言っていましたが
梅花皮はたまたまでしょう笑。韓国に行った時に色々と陶片を拾ったりもしましたが、偶然だと思います。そもそも狙って出すという意味がわからない。
そもそもそこに美を見出したのは後からですもんね。
そうそう、当時日本側で景色だと言われてブレイクしただけで、そういう美意識を持っていない陶工側としては当時狙うなんてことは絶対なかったはず。でもじゃああれが日本でなきゃウケなかったのかと言えば、面白いのは、井戸をインスタとかに上げると世界中の人が見てくれていますが、あの形って結構外国人の方の反応も良いんですよね。より広がって高台が狭い形になるとルーシーリーの形に近いわけですし、平井戸とかは相当近い。そう考えると日本で受け入れられたことが特別というより、意外と世界に受け入れられる形なんだと思っています。
確かに、言われてみれば井戸型ってそうですね。川瀬さんの井戸は崎陽高麗井戸と呼ばれておりますが、ご自身の井戸の個性みたいなものはあると感じますか?
いえ、逆にそれが無いと批判されることもあったりします。でも井戸ってクラシックで言えば楽譜のようなもので、それをどう聞かせるかは指揮者によって変わる。指揮者も時代や環境によって表現も変わるでしょうし、あまりこう造りたいとか整理建てて思うことはなく、造れば自ずと個性は出てくるから、出てきたものの中に個性を見い出してもらえば良いと思っています。昔は目跡を付けたり梅花皮をこうしてみたりとかやってみたこともありますし、もちろん自分なりに井戸を解釈して目標を決めて作り込む作家の作品は凄いなぁとも思いますが、やはり井戸に関して言えば最終的には井戸萌えの心といいますか、どれだけ井戸愛が強いかが大切だと今は思っています。
井戸愛なら誰にも負けないと。
井戸萌えが強すぎて他のことができなくなるので、最近は井戸のことをあまり考えないようにしたりするぐらいです笑。
そうなんですね笑、ちなみに土は長崎の土ですか?
長崎の土とカオリン(韓国の土)を混ぜています。カオリンは原土で、長崎の土は砂岩という砂-昔長崎の石畳って諫早石という脆い砂岩系統の石畳を使ってたんですが、その層と同じような石-を砕いて使っています。いつかは韓国へ行って自分の目で見て土を掘って精土して、向こうの釉薬で井戸茶盌を造ってみたいと思っています。
やっぱり韓国の釉薬ってやはり良いんですか?
良いです。陶片などを見ても根本的に違うと思います。何が違うかっていうとほんとに微妙すぎる部分で、結晶構造とか、ある温度帯からの変化の仕方とか、光の屈折率とかそういう些細なことだと思いますが、それでパット見の見え方ってガラっと変わったりするので。
高麗青磁の陶片とか見ても釉薬が凄くのびのびとして見えます。
そうなんですよね。李の時代の作品が、偶然日本の侘び寂びにピタっとはまったわけですが、凄く不思議ですよね。茶盌一つ見ても、なぜあの時代だけあんなのびのびとしたものが造れたのか。当時の民画なんかも素晴らしいですよね。
そうですよね、どちらかというと完成された美が称賛される韓国と、抜く文化の日本で違いはあるのに、あの時代はピタッと侘び寂びにはまっていますよね。
特に高台がどうとか意識しているわけないはずなんですよ。それなのにそこも日本の美意識にはまっている。そもそも高台の良さとか語るのって日本ぐらいなわけで、ヨーロッパとか行っても高台って何ってなっちゃう。
確かに、裏の底なのに日本ではそれが表以上の存在だったりしますからね笑。でも外国人の作家って、例えば志野と伊賀が混ざったような作品があったり、構わずやっちゃうところがありますよね。
それはある意味羨ましかったりもしています。例えば僕も最近造った中で、くり抜きの茶盌を井戸手で造ったりもしていますが、井戸の手で形が楽っぽかったりすると、見る側は何?ってなっちゃう。名前がつかないと評価できないんですよね。
それはわかります。先日も別の作家さんと話してましたが、例えば黄瀬戸なんて、ちょっと形が変わったら黄瀬戸じゃなくなっちゃって、誰も評価が出来なくなると。
そうなんですよ。それが良いものであっても、井戸でもないし楽でもないしなんだこれってなっちゃうのが、海外ではそうはならないんだろうなと。
その辺り海外では造り手もユーザーも先入観無く見られるので、違いますよね。
そうですね、新しい試みには何かしっかりとした文脈やストーリーが求められるのは良くも悪くも日本独特の考え方なのかもしれません。そういえば海外といえば、一度縁があってドブロブニクでお茶会をやったことがあります。
本当ですか?クロアチアのドブロブニクで?
はい、3年前に、ドブロブニクで展示とお茶会をして、その後ザグレブまで行って公園で野点やったんですよ。思いのほかたくさんの人が興味持って来てくれて、驚きました。
いいですね、僕もいつかモスクワの赤の広場でお茶点てるのが夢です。
そういうの好きですよ。ザグレブでも最初に来てくれたのはサンクトペテルブルクのロシア人だったんです。
ロシア人本当にお茶が好きなので、いつかギャラリーで崎陽高麗井戸を展示したいです。
一つ夢といいますか、こうなれば良いなと思っているのが、海外のアート好きや道楽好きの中で、井戸を持つことが一つのステータスとなったら良いなと思っています。形が受け入れられることはわかってきたので、どうアプローチするか、アプローチ次第でそういったことも可能じゃないかと思っていて、いつかその夢を叶えたいと思って今後も井戸を愛して行きたいと、井戸に萌え続けたいと思います。