通次廣インタビュー ~釘彫伊羅保に魅せられた京都の焼き物師~
by 森一馬昨年秋頃からか、インスタグラムで流れて来るある陶芸家の高麗茶碗の数々に目が止まるようになった。伊羅保を中心に、立鶴や三島など本歌さながらの趣きある御本写し作品が並んでおり、どの作品からも惚れ惚れするような深い侘びが感じられた。高麗茶碗の写しは、様々な写しの中でも比較的多く見ることが出来るが、彼の作品からはこれまで見てきた写しとは明らかに違うものが感じられた。美術品であるという側面に多少の比重を置いている窯と土のキュレーションに置いて、写しのポジショニングは非常に難しい。そこに明確な線引きがあるわけではないが、簡単に言うとプラモデル的な写しを当店は好まない。しかしその時目にした御本茶碗の写しは、本歌を咀嚼し分析した結果、写しを通して作家自身の作品になっている、まさしく本物の写しなのだと感じた。
通次廣さん、京都東山で高麗茶碗を造る作家。お父様は京焼で茶陶の名工通次阿山さん、そして奥様も陶芸家。茶陶一家である。廣さんの作品は、昨年筆者が彼の作品を知った段階でギャラリーでの販売は行っておらず、いわゆる茶道具商を通しての販売のみであった。当店での取り扱いか可能かどうかすらわからない状態だったが、インスタグラムにアップされた柿の蔕茶碗がどうにも美しく、これは取り扱いが難しくても個人的にこの柿の蔕茶碗を譲っていただきたいという気持ちで声をかけさせていただいた。嬉しいことに通次さんも当店アカウントをフォローしていただいていたようで、我々の申し出を快く受け入れてくださった。そんな窯と土初登場の通次さんに、初のインタビューをさせていただいた。
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京焼の家庭でお生まれになったということですが、お父様が初代でしょうか?
いえ、私の知る限りでは、元々は曾祖父が石川県のほうで九谷焼をやっていまして。戦時中に祖父が父を連れて青森の方へ疎開し、その後父が京都に移り京焼を初めました。
なるほど、代々なのですね。しかし通次さん自身は京焼には興味を持たれなかった笑
だいぶ後まで陶芸自体に興味がなかったですね笑。若い頃はずっと音楽やって、バンドで活動したりそっちの方でした。普通に高校、大学まで行って。
美大とかではなく普通の大学ですか?
はい、全く関係ない政治経済学科なんです笑。ただ在学中に車に興味を持って、車関係の仕事がしたいと思って、そういった論文を書いたりしました。
それでそのまま車関係に?
いえ、そうはならなくて。というのも周りの人たちは、みんな私が継いで陶芸をすると思ってたんですね。小さい頃からお茶会なんかも付いていったりしていたのですが、学生時代ある時京都の茶道具屋さんについていった時に、こんなんもあるぞと初めて釘彫伊羅保茶碗を見せていただいて。そしたらそれに一目惚れしてしまって。
なんと、いきなり釘彫ですか!?本歌の?
はい、触るのも怖いぐらいの値段でしたが、初めてそういったものを見て。なかなか普通のお茶会とかではそういうものは出て来ないですから。
高麗であれば井戸とか白磁、青磁とかその辺りから入られる方がほとんどだと思うんですが、釘彫伊羅保というのが渋い!それで陶芸の道に行こうと?
そうですね、やっぱりそれがどうしても強く印象に残っていて、大学出て府立の陶工訓練校(現・京都府立陶工高等技術専門校)に行きました。
そうなんですね、大学卒業されてから陶芸の道に来られた。
はい、やっぱり伊羅保のイメージが強くあったので、土物をメインに轆轤の訓練をしました。1年轆轤修行して、その後1年磁器の訓練も出来るのですが、それには行かず、京都市工業試験場(現京都市産業技術研究所)に行き釉薬の研究を1年しました。
それで戻られて通次工房で作陶されるんですか?
そうです。実は訓練校に通ったのがちょうど2000年だったのですが、その年に京都美術倶楽部が二千年記念茶会という茶会を開催して、そこで通常見られないような名碗が100碗ぐらい出されて。「これを作りたい」って心から思ったのは、このお茶会が決めてでした。
そうなんですね、高麗茶碗も見られたんですか?
はい、釘彫ですね、その時釘彫の良いのが3碗ぐらい出てまして。
やっぱり釘彫。釘彫っていうのが凄く興味深い。釘彫の魅力を語るとしたら、どのような部分でしょうか?
うーん、私的には、日本から注文したと言われている御本茶碗の中では、全て兼ね備えているという部分でしょうか。窯変とか作りとか、実際手に取ると他の茶碗より見どころが多いと感じます。
それを最初から伊羅保に感じるというのが凄く面白くて。伊羅保とか柿の蔕って、いわゆる星を見て綺麗とかそういったことを感じる茶碗じゃなくて、最初はその渋さとか侘びとかそういう部分に惚れて、ずっと見ている中でその造形とか景色に魅力に気づくといった茶碗のような気がしていて。初めて良いと思った茶碗が釘彫という部分が本当に興味深くて。小さい頃から京焼の良い作品をたくさん見て育たれて、自然と見る目が養われていたんだろうと思うんですね。ちなみにこの一碗っていうのはあるんですか?
色々と良い本歌はあるんですが、あえて挙げるなら大阪の湯木美術館にある秋の山ですかね。窯変が凄く綺麗で、本当にガラス越しでも美しいなぁと感じて。
(淡交社・茶の湯の茶碗第二巻・高麗茶碗を見ながら)秋の山、昨日この本を見ながら通次さんの茶碗これに凄く近いと思っていました。見込みの赤い窯変とか灰釉、高台周りなんかもそっくりで。
本当ですか?そういっていただけると本当に嬉しいです。釘彫も色々あるんですが、見込みが赤いっていうのは限られているんですよね。その限られた赤い見込みを持つ中でも秋の山の見込みは特別美しいです。
通次さんの釘彫茶碗も秋の山と同様、表面はいわゆるイライラなザラッとした質感で、斑っぽい緋色が表れたりしていますが、こういう雰囲気はどうやって表現されるんですか?
他のツルっとした茶碗とくらべて混ざってる石が多いんですね。秋の山の正面なんか大きい石がそのまま表れてると思うんですが、これぐらい大きい石も使ってる。多分掘ってきたそのまんまなんでしょう。これが面白さの一つですよね。緋色は指跡を付けたり、釉薬をかける時に工夫していますが、見込みの赤も圧倒的に出ないことが多いので、狙い通りに行かないことも多いです。
そもそも最初に茶碗を作り始めた時は、この手にはどの土とどの釉薬を使うとか誰に教わったのですか?
材料調達から何から全部ゼロから自分でやりました。
え?全部ですか!?
はい、それでできたものを見て毎回ちょっとずつ変化させて。窯焚きもほぼ毎日でした。うちはガスや電気、灯油窯と何台か窯があったのですが、始めた頃はとにかく色々と試行錯誤して、同時に2台焚いたり。1日1回以上は窯を焚いてました。
自己流で、窯焚きが年365回以上。。。すごすぎる。
全部の手で土を変えていて、釘彫だと今7種類ぐらい土をブレンドして作ってるんですけど、20年かけてようやく今の段階まで来て。
7種類もブレンドですか!それしかも造る作風によって変わったりするんですよね?
もちろん、土も釉薬も全部変えます。
全部ですか!?
はい、全部違います。なので新しい手を手掛けるときには土探しから初めて。
物凄い情熱。
好きじゃないと続けられませんね笑
失礼な言い方に聴こえたら申し訳ないですが、今回販売させていただく作品を見る限り、写しという段階を超えて、通次さんの作品という風に私はハッキリ感じられるのですが、そういう風にご自身の中で感じられるようになったのは、いつ頃でしょうか?
そう言っていただけると嬉しいですね、まだ納得行くと自分で言い切れるわけではないですが、狙ったものが出来るようになってきたという意味では、まさに最近、ここ3年ぐらいでしょうか。
最初はやっぱり写すことに力点をおいてらっしゃったんですか?
そうですね、几帳面な正確もあって、ここに石ハゼがあるとかそういうとこまで詰めようとしてたんですよね。周りから「そんな細かいとこ誰も見てへんで」と言われるぐらいで笑。
そうなんですね、でもどこかでそうじゃないと気づくと。
色んな本歌を見て写して行く中で、なぜこの茶碗が良いと感じるのかということを考えながら研究しているので、様々なものを手掛けていくとその分引き出しが増えて行くんですよね。あと本歌といってもそれぞれに良い部分があって、これはここが良い、こっちは別のところが良いとか、そういう良い部分を頭の中で組み合わせて作るようになって。
片身替なんかも本歌とくらべて通次さんの作品は少し造形のバランスが違うといいますか、口縁の溜めなんかも深く感じたり。柿の蔕の見込みなんかもそういったものを感じます。
そうですね、バランスは自分好みになっていると思います。そこは本歌と一緒でなければいけないという観念は、今は無いですよね。
そこまで来るのに20年、大変な道ですよね。
それが全然そんなことが無いんですよ。もう釘彫造るのは楽しくて仕方なくて。好きでやってるし、京都という土地柄道具屋さんやお茶の先生方等色んな方に名碗も触られてもらったり、見せてもらえる恵まれた環境もあるので、辛いとか大変とか全く無くて。色々と良い作品に触れて自分の作品も少しずつブラッシュアップして、そういうのが楽しくて。
釘彫は造るのも楽しいんですね。どういったところが楽しいんでしょうか?
そうですねぇ、釘彫の本歌が、本当に、ホンマに美しくて笑
もうあの緑や窯変の美しさと景色と、良いものができた時は本当に小躍りするぐらい嬉しいですね。
いやぁ、釘彫愛が最高すぎます!笑
写しの出来の良い作品って、オリジナルと比較する必要が無いといいますか、例えば片身替の現代作家の作品を見て、本歌と比べてしまうようであれば、それはやっぱり本歌があってのということになると思うのですが、通次さんの作品は本歌と比べる必要も無いと私は感じたといいますか、柿の蔕を見て白雨とか毘沙門天が浮かぶとかそういうことはあっても、見比べる必要は無いと感じました。
嬉しいです。やっぱり周りの人からも写すだけではだめやでと言われたりもしてきて、写しとは何かということにはまだ答えは出ていない部分もあるのですが、最後はやっぱり似てるどうこうより、その作品が良いかどうかだと思ってやっています。
インスタグラムでも新作が上がる度に見入っているのですが、インスタは初められたのは最近ですよね?
はい、コロナ禍になってから、展示会なんかも中止になって。ちょうどその頃ある縁があってぐい呑を何点か造ったりして、さらにカメラを新調しまして。自分の作ったものを撮っていって、せっかくだからアップしようとインスタグラムを初めました。
ギャラリーなどでの販売等も考えておられましたか?
いやいや、それは全く。ほんとにコロナで発表する場もなくなってしまって、それで初めた感じでした。そしたら声をかけていただいて、ありがたい限りです。
今回酒器も数点作っていただきました。
酒器はほとんど初めてみたいなものだったので、難しかったですね。茶碗を造る感覚とはまた違って、重さとか茶碗の感覚で造ると軽くなりすぎたり、多少漏れてお酒が染み込むほうが良いとか、そういうのを試行錯誤しながら造りました。
あー、たしかに、茶陶の作家さんが茶盌のまま小さくしたら軽いんですよね。しかし、普通の作家は酒器は出来て茶碗こそが難しいのに、逆なんですね笑。
そうなんですか?笑。まだ造り始めたばかりだからでしょうけど、でも酒器造りもとても楽しいので、ギャラリーで取り扱って頂くのはとても楽しみです。インスタグラムで作品を発表するときもそうですが、作品そのものについて皆さんコメントをくださったり、評価していただくことが何より嬉しいです。
そうですね、当店としましても、あらゆる意味で通次さんのような作家さんを取り扱わせていただくのは初めてですので、お客様の反応も含めてとても楽しみです。持っている方にどのように扱ってほしいとかありますか?
やっぱり私は使い込んでほしいです。景色なんかも水が入った途端にガラッと変わるし、使い込んでいくと少しずつ変わるものですので。酒器は茶碗を造るのと同じように細かい部分まで拘って作っていますので、使いながら眺めて楽しんでいただけたら嬉しいです。
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