日本一の黄瀬戸マニア 松村遷インタビュー

 思えば国焼で最初に好きになったのは黄瀬戸だった。こういう仕事をしていると、あなたは普段どういう器を使っていますか?とよく聞かれるが、筆者のデイリーユースは湯呑にせよカップアンドソーサーにせよ主に黄瀬戸。様々な作家の黄瀬戸毎日使っているからこそ、それが茶道具となると異様に慎重になってしまい、長い間現代作家の作品をセレクト出来ずにいた。そんな時とある百貨店の個展DMで、松村遷さんの黄瀬戸作品を目にし、惹き込まれた。インスタグラムをフォローさせていただき、是非実物を拝見したいと思っていた頃、突然流れてくるポストの中に、「酒井甲夫陶展迫る」という文字と、美しい碧志野の作品が目に入った。

 

志野で宇宙を表現した美濃の陶芸家、酒井甲夫さんのことは1年ほど前ネットの新聞記事で知った。上記の「碧志野」と呼ばれる美しい志野を画面越しに眺め、一度見てみたいと思っていたが、土岐市の無形文化財でありながらどこを探しても個展などの情報が無く、どうすればいいのかと思っていた矢先だった。それを投稿したのは松村遷さん。なぜ他の陶芸家の個展の宣伝をしているのかすぐには理解出来ず、DMでご挨拶させていただき、その後の会話で松村さんが酒井甲夫さんを非常に慕っていたことを伺った。筆者が見たいと思っていた大御所の個展を、筆者が見たいと思っていた作家のポストから知ることになるとは、これまた二度となかろう不思議な縁に違いない。筆者は自分の好みを松村さんに伝え、待つこと3ヶ月のはずが、より良いものを納めたいという作家の熱情に期待しながら待つこと7ヶ月。いつものように筆者が取材に伺いたいというと、「窯と土さんの作家作品が見たいので、私が伺わせていただいても良いですか?」と。これまた初めての展開。やよいの歌舞伎のお稽古場でインタビューさせていただいた。

 

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最初に陶芸を好きになったのはいつですか?

 

物心付く頃には焼き物とか古いものが好きでした。というのも私が小学生低学年の頃、私の生まれである浦和の玉蔵院というお寺の境内で骨董市が開催されていて、父や祖父に連れて行ってもらい、その頃からそういったものに惹かれていたのを覚えています。

 

小学校低学年ですか、早いですね!

 

はい、それで実際に土を触って作ったのは確か小学校3、4年の頃で、たまたま叔母が東京の陶芸教室に通っていて、一緒に連れて行ってもらって。

 

早い!早すぎますね笑。その後も通われたんですか?

 

たまたま小学校に焼き物クラブというクラブ活動があって、灯油の窯があって年に何回か作ったものを焼いてもらえたんです。その時初めて電動ろくろに触れて、その時に何かうまく土が動いたような感覚があって。

 

小学生ですよね?笑

 

はい、小学校の焼き物クラブなので普段は手びねりで作っていくんですけど、上手な子は手びねりどんどん独創的なものを作って、私はそういうクリエイティブなことが苦手でそこに対しての劣等感はあったのを覚えていて。でも時々あるろくろの週が回ってくると、なんか上手く出来たような記憶があって、それが成功体験として自分の中に残っていて。

 

なるほど、面白い。それで中、高と続けていったんですか?

 

いえ、中学時代はバスケットボールをやっていて、それで高校は私立高校を受験したのですが、残念ながら全て落ちてしまい、、、地元の公立高校に通うことになるんですが、その高校に陶芸部があることは知っていて。勉強の夢は絶たれたので、これは陶芸やるしかないなと。

 

それまた面白いですね笑
それで高校は陶芸部?

 

それが。。。入ろうと思ったんですが、ちょうどその頃コギャルが隆盛してきた時代で、陶芸部がコギャルに占拠されていて、引っ込み思案な私はそこに入ることが出来ず、入部せずにその傍ら勝手にやってる人みたいなポジションで陶芸をしてました。

 

爆笑
勝手にやってる人笑

 

土練りなんかもそこで覚え始めて。

 

黄瀬戸はそろそろ登場?

 

そうですね、陶芸室の書庫に昔の図録が揃っていて、桃山時代の図録を見て、黄瀬戸に衝撃を受けてしまい。

 

自分も最初に好きになった国焼は黄瀬戸なんですよね。黄色い焼き物ってあまり無いから新鮮で。瀬戸の焼きもん屋が都内のデパートに来るときは、狙って行って黄瀬戸を買い漁って。

 

そうですよね、その図録は巻頭以外はモノクロだったんですが、巻頭の色を重ね合わせて、桃山の大根とか福字の黄瀬戸作品に惹かれていって。

 

それで「これやりたい」と思ったんですか?

 

というよりもこれが欲しいと思ったんですね。でも本に載っているような作品なんで、とても買えるものではないだろうと。

 

だからご自身で作ったんですか?

 

そうです笑 一度図録を見てからはもう今まで、基本的に黄瀬戸が造りたいとずっと思っています。

 



それで卒業されて美濃に?

 

行きたかったんですけど、意匠研(多治見市陶磁器意匠研究所)がその頃とても人気があって、受験に落ちてしまい、とりあえずどんな形でも焼き物がやりたいということで、京都の伝統工芸専門校に2年通いました。

 

そこで黄瀬戸を学べたんでしょうか?

 

それが、、、入ってみたらまだ窯もない頃で。教えに来てくださる先生の窯を借りて焼かせてもらったりと。黄瀬戸を焼くどころか菊練りだったりろくろの練習がほとんどで。

 

黄瀬戸はまだ作れない笑

 

はい、残念ながら笑

 

それでそこを卒業されて、意匠研に?

 

無事合格して、とりあえず美濃に行けば少しは黄瀬戸に近づくかと。

 

でも意匠研で黄瀬戸は明らかに違いますよね?

 

そうなんです笑。それも今にして思えばそういう情報があるんですが、その頃は美濃に行けば黄瀬戸が出来るだろうと思ってたんです笑

 

意匠研で松村さんといえば松村淳さんは意匠研ですが、まったく黄瀬戸からはかけ離れているというか笑。意匠研といえばああいったコンテンポラリーな作風ですよね。

 

そうですよね笑 私は黄瀬戸がやりたいとずっと周知し続けていたのですが、意匠研なので伝統的なことをやりたいという人は一人もいなくて笑

 

爆笑
その中で一人黄瀬戸をやりたい笑
それではまた2年間黄瀬戸は出来ず?

 

そうですね、悶々とした日々が続いていました笑。

 

いつになったら黄瀬戸が出来るんだーみたいな感じですね笑
でも美濃にいらっしゃったってことは酒井甲夫先生との出会いもその当時ですか?

 

はい、研修期間に酒井先生の作品に出会い、ちょうど卒業の頃に岐阜で個展をされていたので、初めてお話をさせていただいて。

 

最初はどういった作品に惹かれましたか?

 

最初は実は図録で見た鼠志野の作品に惹かれて。色々な方の作品を見てきたのですが、あそこまで焼き上げるといいますか、鬼板と長石、土が完全に融合するまで焼き上げる作品は見たことがなかったので、圧倒的な衝撃を受けました。

 

たしかに私も先日個展で拝見した時、あんな熔けた志野を初めてみてびっくりして。滑らかさに驚きました。

 

はい、志野というより、焼き物として先生の作品はずっと私の中で最高峰です。最初に個展に伺った際は、卒業後の進路に悩んでいた時期だったのですが、先生が凄く気さくに話しかけてくださって。それまでは百貨店なんかの個展に行っても、奥手なので作品に触れたりすることはあまりなかったのですが、『触んないとわかんないでしょ』みたいに促してくださって。

 

そうなんですね。

 

はい、それでそのギャラリーでは夕方頃から先生の作品で日本酒を振る舞われていたのですが、私はあまりお酒が飲めるたちではないのですが、その時飲んだ日本酒が本当に美味しくて。聞くと先生は、日本酒に合う長石を探して使っていると仰ってまして。

 

先日伺った個展のギャラリーのオーナーさんも、甲夫先生の作品で酒を飲むと味が変わると仰ってました。

 

そうなんです、驚くほど美味しくて。そこで造形だけじゃない焼き物の深さみたいなものも感じ、その時の先生との出会いがその後もモチベーションになりました。

 

その後お弟子さんになられたんですか?

 

いえ、先生は弟子を取っておらず全てご自身でなさる方で、その後数年間は個展があれば伺う感じだったのですが、そのうち工房にも顔を出させていただくようになって。

 

お手伝いもされたりしたんですか?

 

いえ、本当に先生が作業されているのを邪魔にならないよう遠くから見ているだけで。

 

凄い関係ですね笑

 

はい笑 ただコロナ前に先生はお身体を悪くされて、最後の窯を焚かれた後に轆轤などの道具を引き継がせていただいたんです。

 

そうなんですね!お弟子さんと認めていただいたんですね!

 

そうですね、先生からも、もうそう名乗っても良いよと言っていただきました。

 

 

 

素敵ですね! 甲夫先生とのエピソードで時が一気に流れてしまいましたが、意匠研卒業後に戻すと、卒業後の3年間は多治見に残ったんですね

 

はい、製陶所に勤めながら色々作陶して、でもまだ黄瀬戸は作れなくて笑。
大量生産の技術を身に着けて。

 

黄瀬戸がまだ出てこない笑
いよいよ黄瀬戸!というのはいつなんですか?

 

それは実は製陶所で3年間お世話になった後、浦和に帰ってからですね笑

 

長い!笑
足掛け10年以上、ようやく黄瀬戸のきっかけはあったんですか?

 

戻ってすぐに黄瀬戸が出来たわけではないのですが、とりあえず食べていかなければいけないので、ホームヘルパーの資格を取って、そしたらちょうど地元の障害者支援施設で焼き物を教えるスタッフの募集がありまして、そこに勤めました。その施設で障害者の方への作業支援の一環として、灰づくりとして焚き火が出来たりしたのですが、地元はちょうど果樹が有名で、キウイ、トマト、梨などの枝や葉っぱが収穫後残るんですが、それを灰にして実験するようになったんです。

 

キウイとトマト!?果樹ですか?

 

はい笑 そもそも黄瀬戸って唐九郎先生の本なんかで、ウバメガシの釉薬を使わないと書かれていて、そういう神秘的な部分がある焼き物なんですが。

 

ああ、そうですね、私も読みました。そうじゃないとあやめ手はできにくいとか。

 

そうです、そういう灰じゃなきゃだめなのかなとかと漠然と思っていたんですが、そこに勤めながらキウイの灰やトマトの灰を試したりする中で、全然他の灰で黄瀬戸が出来るじゃないかと。

 

それは面白い!トマトの黄瀬戸!

 

はい、自分の中で、一番最初に黄瀬戸として感触を得たのはトマトの灰だったんです。

 

凄い笑 まさかのトマトの灰
ウバメガシじゃなくても大丈夫なんですね笑

 

はい、全然大丈夫でした。トマトの灰だけで何も混ぜずに黄瀬戸になって。トマトの灰は失透系の黄瀬戸になり、キウイの灰はクリアな黄瀬戸になります。

 

めちゃくちゃ面白い!トマトの灰は今はさすがに使ってないんですか?

 

いえ、実は今も時々使ってます。今回窯と土さんに納めた作品は全てウバメガシですが、時々思い立って使ったりしています。

 

是非いつかうちでも販売したいですね!

 

ありがとうございます、今度また作ってみますね。

 

黄瀬戸の話をさせていただくと、私は最初に松村さんの投稿を色々と拝見した時、いろんな種類の黄瀬戸を造られる方だなと思ったんですね。私は個人的には各務周海先生の黄瀬戸が好きなのですが、そういった雰囲気の作品もお造りになられていれば、もっとオーセンティックなものやアーティスティックなものも造られていて、とにかく様々なタイプの黄瀬戸を造られているイメージなのですが、ご自身でもそのように思われますか?

 

はい、私も本当にあらゆる方の作品が好きなので、とくに黄瀬戸はこうだ、というのではなく、色々なタイプの黄瀬戸を造ったほうが深いこともわかっていくと思っています。原先生(原憲司先生)みたいな黄瀬戸を目指せば、やっている中で何かヒントが得られますし、それが桃山に通じていたりとか、色々とやればやるほど学ぶことが出来ると思っています。

 

 

ありがとうございます、楽しい話が色々聞けました笑
ちなみに作品を持っていただいた方に何か伝えたいことはありますか?

 

はい、(ちょっと躊躇いながら)自分は、あの、気に入っているものは、毎日、お風呂も一緒に・・・

 

え!?風呂!?
じゃあぐい呑と一緒にお風呂入ったりとか?

 

はい、お風呂って家族からも離れて一人で作品と向き合える空間なんで、好きな作品と夜中に一緒にお風呂入って。

 

最高すぎます。でもわかる気がします。

 

自分はほんとに変態なんで、皆さんにそれは求めないんですが笑
時々思い出したようでにも良いから、触ってもらったり、見てもらったりしてくれたら嬉しいです。

 

ああ、そういうことですね、風呂までは一緒じゃなくてもいいけど、時々眺めて使って楽しんで欲しいと

 

はい、ずっと仕舞われるというのはそれだけ魅力がないということだと思いますので、少しでも触ったりしていただけたら嬉しいです。

 

ちなみに一番良く風呂入る作品はどなたの作品ですか?

 

(少し考えて)最近ようやく自分の作品と一緒にお風呂入れるようになってきたんですよ。

 

ちょっと前まで無理だったんですか?

 

はい、理想とする黄瀬戸と自分の作品の乖離が自分の中でありすぎてお風呂入れなかったんですが、最近になってようやく入れるようになってきて。でも一番一緒にお風呂入ってるのは、やっぱり周海先生の作品ですかね。

 

最高です笑
本日はありがとうございました!
 

 

 

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