三藤るいインタビュー ~唐津・美しき三藤窯を訪ねて~
by 森一馬いよいよ唐津、ようやく唐津である。コロナ禍で車以外での移動をできる限り控えていた筆者にとって、またしっかりと陶芸家と会って話を聞き、その場で作品をセレクトすることを信念とする窯と土にとって、喫緊の課題でありながらさすがに関東から車では厳しく、不本意ながらどうしても未踏の領域となっていた唐津。すべての移動制限が解除され、ようやくいざゆかん、唐津へ!と空の旅を予約。ちょうどゴールデンウィーク、数年ぶりに唐津やきもん祭りが行われるアフターコロナの華やかな唐津、お目当てはただ一人。
三藤るいさん。黒唐津を中心に、黄唐津や彫唐津など様々な唐津手作品を創り出す唐津の陶芸家。黒唐津に目がない筆者、初めて彼女の創り出す作品を見た瞬間から惹き込まれ、唐津に行くならこの方の作品が見たい、と決めていた。師匠である川上清美先生の作風を踏襲しながら、神秘的な風合いと女性的な繊細さを兼ね備えた彼女の作風から浮かんだ一言は「クールビューティー」。なるほど、お会いして更に納得、そんな唐津のクールビューティーこと三藤さんが陶芸を始められたきっかけはお母様。
「母が料理が好きで、お盆に色々な器を使って料理を出してくれていたんですね。その取り合わせの美というか、例えば単独で見たら私の好みではないものも、別の器や料理と取り合わせることでその器も引き立つといったような、そういったことを母と話すことがとても楽しくて。どこかへ食事に言ってもそういう話をしながら料理を楽しんだり。そういったことからなんとなく器に興味を持ったのだと思います。」
その頃はご自身が作る側になるとは思っていなかったようだ。
「普通に社会人を4年ほど経験する中で、趣味で陶芸教室に通っていました。最初は普通に町中の陶芸教室に行き、そこで作るものが何となく自分が好きな焼き物とは違うなと感じ、次は登り窯のある教室に行き、それでも何か足りない、もしかしたら買った素材と自分で選ぶ素材の違いなんじゃないかと、そうやって一歩ずつ進んで行き、気づいたら会社が休みの日は自宅のある福岡から有田まで通う日々。最終的に焼き物の道で行きていこうと、会社を辞めて窯業大学に通うことに決めました。」
有田といえば磁器もののイメージだが、なぜ土ものではなく磁器を選んだのか。
「陶芸教室に通っていたころから感じていたことなのですが、土ものって歪んでいてもそれが味って言われるじゃないですか。私はそれがとても違和感があって。芯があってふらしているならわかるのですが、ぶれちゃった、で美しい、と感じるのってどうなんだろうってずっと疑問に思っていて。それでしっかりと芯のあるものを挽きたいって思って、とにかくまっすぐ挽く練習のために、磁器のろくろ科を選びました。」
磁器のろくろは難しいとよく言われるが、土ものとの違いはどこにあるのか。
「そう皆さんおっしゃいますが、別の意味の難しさと言いますか、全く別物ですね。磁器って外側はカンナで削り、内側はペーパーで削り出し形を整えるのですが、例えば唐津の土ものって削りを入れるのは高台周りだけなので、ろくろでしっかり完成させておかないといけない。そういった異なった難しさは土ものにはありますね。」
菊練りだけで3ヶ月、更にひたすらろくろを学び、窯業大学で基本を身に着けた彼女は、在学当時から入門を希望していた川上清美先生の門を叩く。
「元々私は志野焼などの美濃陶が好きでした。何かの雑誌で『峯紅葉』という志野茶碗を見たときに、白黒写真なのにその凄さが誌面を通して伝わってきて。それで窯大卒業したら美濃の方に弟子入りしたいと思っていたのですが、その前に地元の九州で周れるところを周ってみたんです。その時とあるギャラリーで、そのギャラリーはたくさんの作家の作品を並べているギャラリーだったのですが、そんな中でも光る作品が数点あることに驚き、それがすべて川上先生の作品だったんです。徳利とってもぐい呑とっても茶碗とってもどれも川上先生の作品で。そのエネルギーというか、そういったものを受けて、もうこの人しかいないなと、岐阜に行くのもやめて川上先生に弟子入り志願しました。」
といっても、とんとん拍子でうまく行った訳では無いようだ。
「窯大在学中から川上先生にはお世話になっていたのですが、いざ弟子入りとなるとなかなか受け入れていただけず。。。川上先生はあくまで独立することを前提とした人しか弟子に取らず、しかも私は女性。独立して窯を持つって、実際に土を触るよりはるかに多い時間、いわゆる雑用に手を取られる。草むしりから窯場のお世話、土選び、土運び、粉砕、釉薬造り、全て一人で行うには女性は実際体力的に難しいんですね。そういうことは普通は知らないので、「焼き物を作れれば良い」と弟子入り志願する人も多いらしいんです。でも私は独立すると決めて川上先生にお願いしたので、最終的にはその気持ちを受け止めてくださって、弟子入りすることが出来ました。」
多くの人が実はあまり知らないのだが、彼女のようなこだわりある陶芸家は、茶碗や酒器などの作品を作る原料をすべて自然から得る。唐津から肥前地区まで周り土や鬼板を探し求め、自分で選び、運び、粉砕し陶土を作る。唐津の地層は浅く、土を掘りながら音で判断し、取りたい土を探し当てる。釉薬は、例えば藁などを畑で燃やし、灰から作る。陶土を練り上げ形を作り、釉薬をかけ、登り窯で薪で焼く。天然の原料が窯の中で自然の火や灰を浴び、あのような美しい色合いを創り出す。そういえば光藤佐さんのインタビューで同じようなことを聞いた。「長年陶芸する中で、出来たものを見て夕陽なんかを見たとき感じるような『ええなぁ』って心から思えるものは、すべて天然の素材で作ったとき感じるもので。人工のものを混ぜて作った作品からはそう思えないといつ頃からか気づいた。」と。同じく「1年のうちほとんどは、僕は窯場の掃除やら雑用のオジサンやで。」とも。すべて自然から生み出すには相当な体力が必要。とてもすべての工程を女性一人でこなせるとは思えない。
「独立して13年になりますが、2年前から私も弟子を取りました。それまで11年間はすべての工程を一人で行っていました。大変かと聞かれれば、体力的な面では大変なのは確かですが、辞めようとか無理だと思ったことはありません。良いものを作りたいと思って歩んできたらこの形になったので、やるしか他に選択肢は無いんですね笑。私は昔から凄く不器用で、形を作るのも人より2,3倍時間がかかるんです。社会人の間、井上萬二先生の陶芸教室に通っていたころは、周りのみんなはすぐに形を作られていましたが、私はハマ(有田焼を焼く際に窯に焼き物がくっつかないように下に敷く当て皿のようなもの)だけをコツコツと3年間作り続けました。最後に萬二先生が『このハマ使えるな』と言ってくれたのが何より嬉しくて笑。そんな感じで私は地道にゆっくり、時間をかけてやっていくことには慣れています。体力では勝てないかもしれないですが、私に負けない何かがあるとしたら、『気力だけは!』と思っています。」
三藤窯にはこのような美しい展示室、そして奥には登り窯。3部屋ある登り窯はそれぞれの部屋で使う薪を変えており、入れる作品も異なっている。
「ギャラリーは、もちろん設計士さんに入ってもらって、『ここはこれを置くから縦横の幅はこのくらいにしてください。』とか、『余白はこのくらい欲しいです。上に網代を使いたいから下は琉球畳にしたいな。』など打ち合わせをして作ってもらいました。登り窯も同様、窯を設計施工してくれる方に色々と伝えて。一部屋は黒唐津を焼きたいと思っていて、絵唐津と黒唐津では炎が違ったりするので、傾斜はなど打合わせをしました。」
黒唐津。筆者が最初に惚れ込んだ彼女の作品。美濃の引出黒や当店でも人気の須恵黒とはまた違った、唐津ならではの侘び感や素朴さ、独特の美しさを持っている。
「私はやっぱり黒唐津は好きですね。ずっとこだわりを持って作り続けています。引出しや徐冷など、様々な方法で焼成しています。私は骨董などの古いものも好きで、最近は特によく見たりするのですが、例えば唐津の古いものをそのまま再現するのではなく、そういったエッセンスを取り入れながら自分の作風を造り上げていくような、そういったことは大事だと思っています。本当に高台の高さ1ミリとかちょっとした角度を変えながら、少しずつ自分が求める形を追求しています。師匠には独立して10年経つと自分の色が出てくると言われていました。たしかに10年経った頃から、私もそうですが、独立した川上一門の他の弟子達も、それぞれの自分の色が出てきたと感じます。」
陶芸家である彼女は、茶道も続けている。
「茶道は私はまだまだで、それこそ長旅ですが、今は自分が作品を『作る』のと同時に、茶道や陶芸を『広げる』ことも大事だなと感じています。人前に出ることは得意ではないのですが、やはり私は茶碗造りが何より好きですし、それが広がって行くには人々がお茶に触れる機会から増やしていかなければいけない。今回の唐津やきもん祭りでは、立礼でお茶を点てたり、またコロナ禍であまり出来ていないですが、野点でお茶会なども開催したりしています。そうやって茶道を知らない方にお茶を経験してもらい、興味を持ってもらうことはとても大事だと思っています。」
最後に、作品をどのように楽しんでもらいたいのだろうか。
「その人なりに色々と想像しながら見ていただけると嬉しいです。飲みながら使っていく中で、自分が飲み良い飲み口を見つけたり、例えば景色を見て、窯のなかでどの辺りに置かれていたのかなと想像してみたり。唐津の魅力って、使ってるうちにしっとりと変わってくる、いわば育てる魅力のようなものがあると思うので、使って育てて変化を楽しんでもらえたらと思います。」