-Roots3人展- 溢れる李朝愛・川瀬隆一郎
by 森一馬はっきりと言うが、川瀬隆一郎さんの作品は窯と土がオープンした頃に比べ劇的に良くなっている。何を偉そうにと言われそうだが、そう感じるのであるから仕方ない。作品に迷いがなく、枷が外れたかのよう、思うがまま作陶しているだろうことが作品に表れており、非常に気持ちが良い。そう、見ていて気持ちが良いのである。それをそのまま川瀬さんに伝えると、このような返答をいただいた。
「まずそう言っていただいて非常に光栄です。以前は確かに井戸茶碗というある意味茶碗の王様的なものに挑んでいく以上、『井戸を作る作家としてこうあらなきゃ』みたいなものが私の中でもあったんでしょうね。当時の陶工と同じ環境に自分を置こうと、まずは半農半陶をと10年ほど前から農業を始めたり、とにかく素朴なものを作ろうという強迫観念のようなものに環境さえも左右されるような、今考えると滝に打たれる修行を自分に課していたような、そんな感じでした。しかし有り難いことにオンラインやポップアップ等を通して作品が人目に触れる機会が多くなっていくごとに、なんとなくですが、私が表現したいものをそのまま出していったものが受け入れられる感覚があって。あ、そのままでいいんだって、無理してカッコつけなくていいんだって、遠回りをしてきましたが、今現在は本当に自分が感じた李朝をそのまんま出せば良い、そう思っています。」
誰の弟子にもつかず、また窯業地でも無い場所で独学で挑むのが茶碗の王様である。それはそれは多方面から様々なことも言われるだろうし、苦悩もたくさんあっただろう。そしてそんな環境下では、ただ良いものを作るだけでは当然誰にも知ってもらえない、しかし今は昔と違ってSNSがある。川瀬さんは作った作品を自ら見せる努力をはじめ、10年前からカメラを練習、自分の作品を撮り、5年間毎日休まず投稿を続けた。その地道な努力が実り、インスタグラムのフォロワーは1万人を超えた。筆者が川瀬さんに声をかけたのはちょうどそんな頃。当店と川瀬さんの相性は非常に良かった。at Kiln AOYAMAでの初めてのポップアップストアでは川瀬さんの作品が非常に評判良く、またオンラインストアでは海外からも多く注文が入るようになった。らく井戸や樽井戸など酒器を中心に展開する様々な作風もすんなりとお客様に受け入れられたことが、冒頭インタビューの「そのままでいいんだ。」につながっていく。
新たな気づきを得た川瀬さんは、彼が地元の土を用いながら井戸を追い求める中で辿り着いた作風「崎陽高麗」を武器に、次なる作域へと踏み入れる。くり抜きで作った四方盌がフランスのアートギャラリーに目に留まり、2022年にはパリのアートフェアに出展。作品は見事完売し、更に2023年には日本橋三越で個展を開催。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、長崎を代表する陶芸家の一人へと駆け上がった。
そして今回、Roots3人展に出展する作品ラインナップには、更に自由度の高い作品が並ぶ。ねじりの加えられた四方盌や、土見せの大井戸、李朝好きが手に取るようにわかる扁壺など、また作風も漆や金銀箔を用い、遊び心満載の作品は本当に気持ちの良いものばかり。そしてその作風の根底に垣間見える李朝愛。それについて本人は「永遠の片想い」と語る。「もう好きで仕方ないんだから隠してもしょうがないんですよね。とにかく李朝が好きで、それをそのまんま、カッコよく言えば超自然体な形で表現しただけで、それが森さんが仰るような現代的解釈と言われればそうなのかもしれないですが、自分には李朝がそう見えているというだけのことで。」
そう、最初のポップアップストアで川瀬さんの作品と10日間向き合う中で、感じたことを今でもはっきり覚えている。川瀬さんの井戸茶盌の造形、一見優しい造形に見えるが、実は相当デフォルメされていやしないかと。確かに本歌の名碗の多くも高台脇から立ち上がり、腰の中央でほんのり張りを作り、もう一度少しくびれて口縁に向かって開く。しかし川瀬さんの井戸茶盌は、その当時それが意識的につけられたのかさえわからないほのかなカーブを「これが正解だ」と言わんばかりにはっきりと主張している。最初は筆者もさほど意識して見ていなかった造形が、長く向き合う中で非常に強い主張に感じてきて、まさにそれは彼が井戸を写す中での一つの正解を示していると感じた。
当然のことながらものの見え方は人それぞれで、聞こえ方や感じ方も自分と他人では違うと頭ではわかっていながらも、例えば絶対の美と言われるものを前に、これは絶対的に美しいのだから私以外の人もきっと同じように感じているのだろうと我々は思いがちだが、もちろん例えば美術館で「有楽」という井戸茶碗を前に、隣で見ている人がこの一碗のどこに惹かれているのだろうかなんてことは、他人である私からはわかるはずがない。そう考えると、例えば茶碗の写しなんてものに絶対の正解はなく、とくに現代作家の写しなんかは、その作家が本歌をどのように見えるか、また解釈するか、それによって出来上がる作品はいかようにもなる。意図的に現代的解釈を施したようなものは論外として、例えばある作家が「井戸は枇杷色だ」と見えれば、その作家の写しは枇杷色を基調とした作品になるだろうし、「井戸は実は様々な色が混ざり合って枇杷色を形成している」と思っていれば、グレイや御本が混ざった色合いになるかもしれない。
井戸は茶盌の王道で、喜左衛門は国宝だ。だからどうしても井戸というと国宝をはじめとする名碗が頭に浮かぶ。そして現代作家の作品を見ると我々は、あれやこれに似てる似てないと言いがちだし、写しである以上、それはそれで一つの評価基準であるのも間違いない。しかし前述したよう、例えば有楽という井戸を美しいと感じるポイントは人それぞれで、その感じるツボをそれぞれが表現する中に現代作品の面白さがある。そして何より、川瀬さんには誰にも負けない井戸愛、李朝愛がある。昨年の日本橋三越での個展で筆者は川瀬さんの李朝愛について書かせていただいたが、今回のラインナップを見た時、まさに李朝愛が器から漏れ出るほどに溢れて今にも爆発しそうだと感じた。おぼこさ、ケレン味、純粋無垢、淀みなさ、うぶでまっすぐな李朝を表現するには、作る側が同じ気持ちでいなければ作れないはず。まさに今回のラインナップは、李朝陶磁全てに見られるケレン味のなさと、川瀬隆一郎の作陶に対する迷いのなさ=淀みなさが時代を超えてマッチし融合し生まれた、崎陽高麗の一つの到達点だと筆者は思う。
最後に、筆者が勝手に本展のリーダーと呼ぶ川瀬さんの、本展発表時の一文を掲載する。
すごく楽しみにしてる自分がいます
金さんの井戸が見られるのが楽しみすぎる
吉見さんの茶碗に触れられるのが楽しみすぎる
お二人にお目に掛かって図々しくも何を聞こうかいろいろありすぎてテンパって結局何も聞けないかもって不安になるくらい楽しみです
だって井戸と須恵器の第一人者との共演ですよ
本場の土を知っているお二人ですよ
私居て良いのかな?
川瀬隆一郎