-Roots3人展- 猪突猛進の陶芸家・吉見螢石
by 森一馬先日インスタグラムの投稿に書かせていただいたが、今回Rootsで展覧会を開く三人の陶芸家は、皆さん師匠に付かず独学で陶芸を学ばれた陶芸家ということに気づき、非常に驚いた。窯業地育ちでも無く、何代目等でもない、協会等にも属さない陶芸家が知名度を得るにはどれだけ難しいことか、筆者も色んな陶芸家から聞いてきた。そして私事で恐縮だが、筆者もこれまで様々な業界に身を置いてきたが、すべて自己流でやってきたということが一つの小さな小さな自負であったりする。筆者はそれをストリートスタイルと勝手に呼んでいるのだが、音楽もファッションも一切学校などに通わず、まぁなんとか形にはしてきたから今があるわけで、そして窯と土をオープンする際も、恥ずかしながら焼締めの意味すら知らないところからスタートしている。そんな自分のスタイルに最も共感してくださる作家が吉見螢石さんだ。彼女の生き方はそのような私の小さな自負を軽々と吹き飛ばすような、とにかくGo for brokeではないが、まずはやってみる。その小さな身体のどこからそのようなパワーが溢れて来るのかと不思議になるほどエネルギッシュだ。
吉見さんは書を長く続ける中で陶芸に興味を持ち、1990年頃に陶芸を始める。最初何年かは日常の器を作る中で、世話になっている美術商の方からふと「本気で陶芸やるなら陶邑に生まれたんだから須恵器しかないだろ。」と言われ、以前から心の片隅にあった須恵器をやってみようと決心し、穴窯を築窯する。「一度やろうと決めたら止められないんですよね。だからすぐに窯を作れる場所を探して、それで穴窯を築窯して須恵器を作り始めたんですが、焼き方はおろか薪の火の付け方すら知らないわけです。もう最初何回かは窯出ししたら丸焦げの状態。それでやり方を聞いてみようと思って、備前の知り合いに聞いたら備前焼が出来て、伊賀の知り合いに聞いたら伊賀焼が出来るんです笑。それはそうなんですが、私の作りたい須恵器のグレイを出すには、結局自分でやっていくしか無いなということに気づきました。」
須恵器がようやく形になりだした頃、ふと訪れた大和文華館で黒織部の茶碗を見て、そのひょうげた形と白黒の世界観に惹かれた。「自分のやっている書も白黒の世界、そして窓があるから字を入れることも出来る。その時これだって思ったんです。」
一度思ったら止まらないのが吉見さん。もちろん茶碗づくりに没頭し、更にアトリエの中に待庵の写しである螢庵を作ってしまう。そんな時、美術にとても精通した知り合いが吉見さんの茶碗を見て「井戸でも挽いて見るんだんだ、君は。」と呟いたのをきっかけに、井戸に心酔する。「井戸なんて雲の上の存在だとどこかで思っていたんですが、ちょっとやり始めたらもう狂ったようにろくろを挽き続けてしまって。シンプルだし簡単そうに見えるのに、上手く挽けない、出来ない。美の基本ってこんなに難しいんだと実感して、来る日も来る日もろくろを挽いて、私何やってんだろうと思うんだけど、出来ないと悔しくて。そうして続けていく間に、やっぱり焼き物は茶碗なんだなと気づいていくんですね。」
筆者は作家を選ぶ際、茶碗が作れるかどうかというのを一つの基準としている。作れるというとそれはみんな作れるのだが、茶碗として「成っている」かどうかは別の話。人間の掌で撫で回すことの出来る最適かつ最大なサイズの陶芸作品が茶碗であり、だからこそ。もちろん筆者の主観ではあるが、その感覚的な基準をの一つをあげるなら、造形や重さ全てにおいて、酒器をそのまま大きくなったように感じる茶碗は良くないということ。それをある時吉見さんに話すと「作る時もまさにその通りなんです。最初は茶碗だから酒器をそのまま大きくすれば良いと思ってたんですが、そうすると出来ないんです。ただのどんぶりみたいになっちゃったり、茶碗の格が出ない。全く別物だし、難しさが全然違うんです。酒器や皿、ましてや大壺なんかも茶碗に比べたら簡単に作れる。茶碗だけが難しい。50cmの大壺が作れるのに、茶碗は作れないんだから、本当に焼き物は茶碗なんです。」
ひたすらに、そしてひたむきに井戸を作り続ける。実は筆者が最初に吉見さんと出会ったのは、テーブルウェアの展示会だった。そこで螢窯の窯元作品として、酒器や皿を並べていた吉見さんを、最初失礼ながら窯元のセールスの方かなと思ったことは以前のインタビューで認めたが、その時初対面ながら長話をする中で、吉見さんが「ちょっとこれ見てくださる?」と裏から出してきたのが井戸茶碗。「ずっと作り続けてるんですが、まだ販売出来るという所には至ってないなと思って販売はしてないんです。でも何千個も挽いてるから、形を見てほしくて。」と渡された井戸茶碗の造形は本当に素晴らしく、いつか完成した暁にはぜひうちでお披露目しましょうと約束した。それから1年後、金さんの井戸茶碗を持参し螢窯へ。金さんの井戸茶碗に感銘を受けられたことはこちらで言及したが、更にやはり焼きが全く違うと確信した吉見さんをもう誰も止めることは出来るはず無く、なんとすぐさま薪窯を購入。灯油の窯では出せなかったしっとりとした味わいを求めて、再び井戸茶碗に挑戦し始めたタイミングで、今回の-Roots3人展-が正式決定した。
「私は弘法は筆を選ぶと思っているんです。特に陶芸では、作家の力に自然の力が入ってくるわけですから、それは道具が揃わないとどうしても超えられない。そして陶芸では偶然性も実力のうち。筆が揃わないから実力を出せないでは駄目なんです。」そういう自分の信念をすぐにしっかりと言葉にして語れるほど、常に思考を働かせて作陶に臨んでいる吉見さん。陶邑で作られていた須恵器の再現を成し遂げた彼女がここ数年取り組んでいるのが、オリジナル作品である窯変須恵茶碗だ。「須恵器は焼締めなので、茶碗を作るとなると見込みに釉薬が必要で。それで見込みにかけた釉薬が外に漏れて、その部分が窯変してカラフルに景色のようになったんです。今回その窯変須恵を、更に井戸を焼いている薪窯に入れて焼いてみたら、さらにこれまでに出なかった色が出たんです。それを発表出来るのがとても嬉しいです。」
また、当店でも人気の黒窯変、カセ黒等様々な手を生み出している吉見さんに、今回のRootsに向けて一言を伺った。「やはり陶芸をやる以上、心の何処かでいつかは日本橋三越の特選画廊というのが頭にあって、それを実現出来るという嬉しさ、そして本当に出来るのかなという不安、先日森さんがした金さんのインタビューにあった太宰治の言葉と同じ気持ちです。ただ一つ本当に感謝したいのは、先日3人展前最後の穴窯を焚いたんですが、これまで何十回と穴窯焚いてきた中で、本当に初めて窯焚きが楽しいと思ったんです。最後急冷をかけて火が消えていく時『あぁ、もう終わっちゃうんだ』って少し寂しくなって、もっとやっていたいなって。これまでそんな気持ちになったことなくて、前にインタビューしていただいた時に言ったように毎回不安しかなかったのに、本当に楽しくて。そんな気持ちにさせてもらって、本当にありがたい想いです。井戸をずっとやってらっしゃるお二人の先生方に私なんかがという思いもありますが、この楽しい気持ちを少しでも続けられるよう、私も一緒に楽しみたいとそう思っています。」