九谷ポペリズム「銹朽手」~村松道さんインタビュー~
by 森一馬いきなり耳慣れない言葉からスタートさせていただくが、ファッション業界のお話。ブルジョアジースタイルが席巻した80年代ファッションへのアンチテーゼとして突如ファッション業界に登場した伝説的デザイナー、マルタンマルジェラが提唱したのが、表題のポペリズム(貧困者風)スタイル。色褪せや汚れ、ほつれを敢えて取り入れ、古着風に仕上がったスタイルは90年代ファッションの指標となり、その後のグランジファッションの基盤となる。2010年代にそのポペリズムはロシア人デザイナーのゴーシャラブチンスキーにより、ゴプニク風(ソ連労働者階級スタイル)ファッションとして再びファッションシーンの中心となった。
村松道さんの作風に筆者の目が止まったのは、彼のインスタグラムのポストからだった。侘びた百合やひまわり、海月や金魚というモチーフの選び方と色絵にまずは惹かれた。九谷では珍しい少し歪んだ造形も興味深く、すぐに連絡を取ったら、ちょうど翌週に金沢で彼が出品するグループ展が開催されるということで、直接作品を拝見しに伺った。そこに並べられていた一枚の角皿。エゴンシーレを思わせる侘びたひまわりの絵が描かれた角皿には、白磁部に錆びのような色付けが施されている。赤絵から五彩まであらゆる手のエレガントな九谷焼が無数に並ぶグループ展の作品の中、明らかに異彩を放つ錆びついた1枚の絵皿。瞬時に前述のポペリズムが頭に浮かび「これだ!」と感じた。
誰もが知る石川県の伝統工芸、九谷焼。加賀や能美、金沢、小松などから素晴らしい絵師が次々と表れては人気作家になっていく。五彩や赤絵、青手等様々なスタイルの絵付けが存在するが、それぞれのスタイルで絵付けの技術はどんどん進化し、付加価値も高まりなかなか手に入らない作家も多い。当店取り扱いの多田幸史さんもその一人、幾何学紋で新たな風を九谷に送り込んでおり、昨年から受賞ラッシュ。今九谷で最も注目の作家の一人となっている。多田さんのような流行りとも違う新しさを感じさせる作家の活躍は、金沢出身で九谷焼の側で育った筆者としては嬉しい限りだが、しかし今の九谷のいわゆる流行りの風潮を見ると、古九谷などに感じる色気や刳み、凄み、リズム感などから遠く離れた場所へ一同向かっているように感じることもあり、しかしそれはもう、伝統工芸に雑味や刳みなど必要ないのだから、求めるほうが間違っていると自分に言い聞かせたりもしてみたり。唐九郎の言う窯ぐれとは少し意味は違うが、迷いなく皆がエレガンスに向かう80年代ファッション業界的な状況の中、ちょっと誰か古九谷の粋な部分なんかに目を向けるツワモノはいないのかい?といったことを思っていた矢先、その村松氏の錆びついた器が目に飛び込んできた。
村松道さんは1968年生まれ。金沢で生まれ2011年頃まで東京で国家公務員をしていたという異色の経歴の陶芸家。一見順風満帆に見えるいわゆるお硬い仕事はストレスの連続だったという。「昔から習い事が好きで、ピアノを習ったり絵を書いたり空手を習ってみたり笑。色々と経験する中で、仕事で強いストレスを感じたときに、いよいよ自分はサラリーマンには向いてないんじゃないか、何か造り出す仕事のほうが向いているのではないか本気で考えるようになりまして。私は祖父が九谷の絵師だったのもあり、その頃陶芸教室にも通いだしていたので、興味があって九谷焼研修所(石川県立九谷焼技術研修所)の試験を受けてみたら受かってしまって。でも仕事を辞めることができず、それから2年かかって仕事を辞め、研修所に入りました。」
その後研修所を卒業、九谷の窯元を経験し、八ヶ岳の工房に。「八ヶ岳(八ヶ岳高原ロッジ陶芸工房)の工房長が研修所の時の先輩で、声をかけていただいて。最初は1年だけ行くつもりだったのですが、あまりの景色や環境の良さと土物中心の作陶が楽しくて、結果3年いました。その後金沢に戻り、仲の良かった陶芸家の田畑奈央人さんの紹介で、セラボクタニ(九谷セラミック・ラボラトリー)に入りました。」
「セラボに入って久しぶりに九谷焼を始めるんですが、すぐに伝統九谷焼工芸展に作品を出さないかと誘っていただき。それで2年目に出品した作品を、田畑さんの師匠である武腰潤先生が気に入ってくださって。実は私は以前から武腰先生の作風がとても好きだったので、それがとても嬉しくて。田畑さんは武腰先生に薫陶を受ける陶芸家が集うグループ『潤青舎』のメンバーなのですが、私もお願いして潤青舎に所属させていただくことになり、そちらの一員として今も活動しています。」
筆者が最初に村松氏の作品から直感的に感じたのは、武腰潤さんからの影響と、エゴンシーレを思わせる枯れたひまわり。そのことを訪ねると、「実は昔からシーレが大好きなんです。シーレのあの色気や背徳感みたいなものが好きで、ひまわりの模写を何度も描いてきました。実は先々月も時間が無い中突如思いついて、東京のシーレ展に行ってきました。」
なるほど、それを聞いてぱっと浮かんだのはシーレの人物画の背景。あの錆びにも近い土色のような、はたまた和紙のような色合いは、筆者の中で村松氏の錆びとオーバーラップするものがある。シーレが氏に錆びを閃かせたのだろうか?
「そういう部分も無意識の中であるのかもしれませんが、錆をつけようと思ったのは、直接的には藤本能道先生の作品を拝見したのがきっかけなんです。藤本能道先生いくつかの作品を拝見し、触れる機会がありまして、その絵の素晴らしさはもちろんのこと、白磁部の釉薬の美しさに本当に驚いたんですよね。奥行きがあって深く、ずっと見ていられると言いますか。色絵といえば九谷だけ見て来た私にとって、それは本当に衝撃的で。九谷焼の白磁は透明で綺麗ですが、あまりの淀みのなさにどうも工業製品的なものを感じてしまっていました。何か変えることができないかなと考えていたときに、藤本先生の釉薬の奥深さと釉描加彩を見て、白磁部にそういった表現ができないかと考え、思いついたんです。汚そうと。」
素地を汚す。その発想はおそらく九谷の街で生まれ育った人間には思いつかないことだろう。そもそも分業が伝統でもある九谷では、生地は生地屋が成形することも多く、生地を触るに考えが及ばない。しかし古九谷や李朝の白磁をよく見てみると、鉄粉による黒点や素地の歪み、薪窯による汚れなどが存在し、それが色絵や染付の美しさを引き出している大きな要素となっていると筆者は感じていた。「まさにその通りで、鉄粉をとにかく嫌う白磁の作り方には疑問を持っていました。人間の顔なんかも左右全く対象じゃなくて、歪みがあったり、ほくろがあったりしたほうが色っぽいなと感じたりする。白磁の余白はただの余白じゃなくて、見せるために残すんだと藤本先生の作品を見て確信しました。」
藤本先生のお弟子さんといえば当店でも人気の伊藤北斗さんの作品は、もはや素地は残さず塗りつぶしている。おそらくそれは藤本先生の釉描加彩に対する北斗さん的解釈が進化し、それが現在の釉刻色絵金銀彩へと繋がったのだろう。九谷焼がベースにある村松さんはそこにシーレ的美学を取り入れ「汚し」に挑戦した。それが筆者の好きだったマルジェラのポペリズムともつながり、私達は意気投合した。
考えてみれば陶器、特に穴窯などにおいては滲みや汚れ、ひっつき等はほとんどの場合敬遠されるどころか景色として喜ばれ、評価される。若尾経さんは言った。「俺たちがやってるのは普通の職人が普通の器を作るのにNGなことばっかりなんだよ。」まさに仰るとおりである。日本では窯変は好まれるが、窯変自体が失敗と評される陶器ももちろんある。高麗茶碗などの古色付けも議論はあるが、どちら正しいかはその人やその人が属する集団の判断であり、作家や私達キュレーターにとっては、詰まる所できた作品の良し悪しが全てである。マルジェラが高級メゾンの淀みの無いファッションにポペリズムで革命を起こしたように、錆びついた九谷の素地はある意味九谷のエレガンスに対するアンチテーゼとも言える、そのようなことを筆者は感じ、意気投合した村松氏に錆び生地を主体とした酒器や花入を作って欲しいと依頼し、しばらくの制作期間を経て今回のリリースとなった。
リリースにあたり、この新たな錆びスタイルの作品を筆者は「銹朽(しゅうきゅう)手」と呼び、作家もそのまま受け入れてくれた。粗や淀みのない限りある美ではなく、錆びたもの、朽ち行くものに宿る悠久の美。今や画像修正はおろか、AIでどんな顔やスタイルの人間も簡単に作り出せるSNS時代。AI伝統工芸士の登場もそう遠くないかもしれないこの時代に、美とは何か、美しいとは何かを我々は今一度掘り下げて行く必要があるのかもしれない。
作品を持ってもらう方に「人生の伴侶のようにずっと長く持ってもらいたい。」と語る村松氏の想いが宿ったような、味わいと深みある銹朽手の作品を、少しでも多くの方にお楽しみいただけたら幸いである。
※作品は17日20時より当オンラインストアにて販売致します。