後関裕士インタビュー ~備前焼をルーツに、新風を吹かせる超新星~
by 森一馬これから会う新しい作家のインタビューの見出しは「陶芸界に彗星の如く現れた超新星」かな、などと考えながら、茨城県は水戸から常陸大宮の山道へと向かう。山を抜け橋を渡り、細い道を駆け上がりたどり着いた工房には、小柄で可愛らしい半袖シャツを着た、ほんわかとした渋谷系(古い?)の青年が待っていた。工房を見せてもらいインタビューをと席についたとたん、「窯と土さん、陶芸界に彗星の如く現れてすごい作家を揃えてらっしゃって、ずっと気になっていました。」と、まさかの「逆・彗星の如く」を喰らってしまった。
後関裕士さん、備前焼のDNAを受け継ぎ、新たな作域を目指す期待の若手作家。当店ごとではありますが、ジェフシャピロ先生と作陶に励まれた伊勢崎淳先生のお弟子さんを経験し、3年前に独立されたまさに超新星。こちらこそずっとインスタグラムや百貨店の個展で作品を拝見し、是非拝見したいなと、ようやくコンタクトを取りこの度販売に至った。彗星の如く現れたと称していただいたギャラリーに、彗星の如く登場した超新星作家にインタビューしてきた。
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千葉県のお生まれなんですね。
はい、船橋生まれで、両親は蕎麦屋をやっています。
そうなんですね、最初に陶芸に興味を持ったきっかけは?
高校生のころなんとなく将来考えた時に、このまま就職するという道がイメージできず、かといってやりたいことも無く、ここらで人生変えたいと思いついたのが美大を目指すということでした。アートが好きということもなく、勉強は嫌いだけどアートは嫌いじゃないぐらいの感じだったのですが笑。
別にこれが好きだというのがあったわけではなく?
なかったですね。それがいざ美大受験を始めたら逆に燃えてしまい、どんどんアートを好きになっていって。それで東京藝大を何度か受けましたが失敗し、山形の東北芸術工科大学に行きました。
大学時代は山形だったんですね。
はい、それで入学して気づいたのは、これだけ苦労して学費も工面して入学しても、卒業して美術を続けられる人って一握りで。全く関係のない仕事に付く人がほとんどで、それではここに来た意味がない、やるからには勉強したことを活かせる仕事をしたいと思った時に、一番可能性を感じたのが陶芸だったんです。
それは何ででしょう?
まず造ることが好きだったので工芸科に進んだんですが、漆とか金工とか始めるのに凄くお金がかかるんですよね。また、認知度を考えても陶芸ほどではない。陶芸は窯を自分で作って始めることも出来るし、一番現実的だなと元々感じていました。そして大学の教授が陶芸好きの方で、鯉江良二さんの作品などをお持ちで貸していただいたり、楽代々展に連れて行ってくれたり、そうしている間に自分もどんどん陶芸にハマって行きました。今思い返すと親が趣味で陶芸をやっていたので、そういったこともあったのかもしれません。
先生に恵まれたんですね。オブジェなんかもやられたんですか?
はい、最初はやっぱり美大に行ったら僕もかぶれて、アートなことがしたい、彫刻やオブジェなど現代的な表現をしたいと色々作ってみたりしたんですが、その教授にセンス無いと言われて笑。
厳しいですね笑。
でも、茶碗だって彫刻が出来るんだぜ、茶碗って美術なんだよっていつも言っておられて、いかにも茶碗を造りなさいと言わんばかりの感じで。
へぇ、すごい、茶碗がアートだと教えてくれた感じですね。
そうなんです、茶碗の中にいくらでも美術を詰め込めるし、お茶自体がインスタレーションだと凄く熱く語られて。そのような流れで大学3年の頃にはもうお茶碗ばっかり作ってました。
すごい笑。そんな美大生珍しいですよね?
そうですね、美大といえば大きなオブジェとか、そういう考えを持った教授には何でこの子は茶碗ばっかり作ってるんだろうと思われていました笑 学生のときは施設好きなだけ使って大きな作品造りなよとか言われたり。
なかなか大学生で茶碗ばっかり作ってる美大生って浮かばないですからね笑。当時はどういった作家を見られてましたか?
やはり当時は光悦だったり長次郎、鯉江良二さんだったり、極端に緊張感のある、カッコいい作品にあこがれていました。
そこから大学を卒業されてどのような道に?
大学の卒業制作で、より時代を遡ってみたいと思って、土器みたいな作品を野焼きで作ったんです。そしたら大学にいらっしゃった学芸員の方が、僕が焼締めを好きだと思ったようで、備前の伊勢崎淳先生がお弟子さんを募集してるからあなた行ってみたらどう?と言ってくださって。
すごいタイミング。
そうなんです、それで少し考えたんですが、初めから答え決まってるなと思い、「行きます」と。
それで伊勢崎先生に弟子入りされたんですね。
はい、断る理由が無いですよね。それで4年間しっかりと修行しました。
やはり勉強になりましたか?
はい、大学時代は夢物語といいますか、理想だけが膨らんでいたのですが、弟子時代は現場なので、リアルしかない。いきなり即戦力として100%現場でしたので、結果的にそれが凄く勉強になりました。
4年修行されて卒業されて、その後は?
岡山に残るという考えもあったんですが、意外に土地を見つけるのが難しくて。備前焼の中心地の伊部はもう煙突を作っちゃいけないという条例があったり、貸工場みたいなものも無く。弟子の間に色々探したんですがなかなか土地が見つからなく、卒業後千葉に戻ったらあっという間にこの茨城の場所が見つかったんです。
タイミングがとにかく良い笑。
元々焼き物屋さんが出られた跡地で、工房もあったので、そこに自分で薪窯を作って。
設計したということですか?
いえ、自分でレンガ積んで窯自体を作って。
えー、これ自作の窯!?すごすぎる!
そうなんですよ。ここに来たのが3年半前なんですが、ちょうど益子の有名作家が窯を解体するということでレンガをもらってきて、半年かけてゆっくり作りました。
まさかの本当の意味での自作窯なんですね!
そうなんです、それで薪窯での初窯作品を見ていただいた百貨店の方が個展に誘ってくださって、昨年初めて薪窯作品のみで個展をさせていただいて。
それはほんとに彗星の如くじゃないですか!笑
僕も酒器展とか誘っていただけたらぐらいの気持ちだったのですが、個展やってみる?とご提案いただいて。
物凄いスピードで進んでいますね!作品は蒼変黒や桧山備前をすでに作られてたんですか?
はい、蒼変黒は、実は弟子時代から黒備前を造ると青く窯変する時があるなと感じていたのですが、初窯で1点だけその窯変がある作品が取れて。それをお世話になっている銀座のギャラリーさんの企画展に出したら、凄く評価いただいて。それ以来意識的に造るようになりました。
凄い。。。自分は最初に蒼変黒の茶碗を見て、これは見たい!と思いました。あの手はどのように生みだしているのでしょうか?
備前に伊部手という技法があって、元々は焼締めの茶碗の目止めのため、耐火度の低い泥を茶碗に塗って漏れ止めにするといった技法で、独特の黒備前ができてくるのですが、師匠もそういった技法を用いていて。その泥を調合したり、また穴窯の灰であったりが混ざりあい、このような青い窯変が出てくるんです。
伊部手を現代的に解釈して作り上げたんですね。
そうですね、伊部手のオマージュといいますか。ただすでにこの手に関しては僕は備前焼だという考えはなく、名前も蒼く窯変した黒茶碗ということで蒼変黒茶碗と名付けています。もちろん緋襷やスタンダードな備前焼も造り続けています。
最初に見た時に造形の美しさにも惹かれました。なかなかこの筒のスタイルをメインに持ってくる作家は珍しいと思うのですが、そこもこだわりがあったのでしょうか?
やはり一番好きなのがこの筒の造形なんですよね。あと口縁が波打っているじゃないですか?
いわゆる山道になってますよね。
これも、わざと波打って作っているわけじゃなくて、たたらをまずは成形し、型に入れてベースを作り、それを型から外して整形していくのですが、その際に伸ばした土が口縁部に大きく波打ったまま残っているんですよね。僕はその口縁の形を拾っていく作業が凄く好きで、この形は痺れると思ったらそのまま残し、行き過ぎた場所はカットしたり角度を変えたり、丸みを出したりとか。自然現象的に作り出された形と自分の意志を融合させてまとめ上げることで、プリミティブな感覚を残した美しさが表現したいと思っています。
そういった感覚大事ですよね、どこに自分の拘りを表すか。使う側、見る側にも伝わってくると思います。
自分の手跡とか意志のようなものが茶碗に反映されたとして、それがある人にとって大事なものとなれば、何百年と残る可能性があるわけじゃないですか。
まさに伝世品となれば、今も何百年前の茶碗を使っている方がいらっしゃいますしね。
そうです、それって凄いことだと思うんです。僕自身もそういった何百年前のものから学ぶし、それを作られた方は当然この世にはいないのですが、その人の意志だけは茶碗を通して受け取ることができるわけで。そこが魅力だなと思って今陶芸をやっていて、今の自分の造形感はそういった考えから来ていて、これからもそういう意志を持って造り続けていけたらと思っています。
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自らの手で築窯して、その窯で焼き物を造る。言葉で言うのは簡単だが、そのプリミティブな思考がこの令和の時代になかなかマッチせず、一瞬戸惑ってしまった。また、自作の窯で焚いた初窯作品を、誰もが知る有名ギャラリーにて販売出来る作家が、どれだけいようものか。彼の師匠である伊勢崎淳先生のお弟子さん達の中には、備前焼をベースに革新的な作風を追い求める作家が何人かおられ、トラディショナルなイメージがある備前焼に新風を吹かせているように思う。独立から3年強ですでに自分の作風や方向性を見出している後関さんの今後に注目するとともに、同じ陶芸界の新風として、若い世代やこれから陶芸を知る人々に、陶芸の面白さ、美しさを広げていけたらと、そう思いながら帰途についた。