「これまでに無い新しいものを生み出す精神こそアート」 伊藤北斗インタビュー
by 森一馬筆者は2019年までは、ファッションバイヤーとしてほぼ毎月海外のショーや展示会に招待され、まさに世界中を飛び回っていた。そんな中突然訪れたコロナ禍。海外出張全キャンセルはもちろんのこと、県を全く移動さえも制限され、気分が落ち込む日々が続いた。そして2020年秋、依然続くコロナ禍の中、ふと立ち寄った百貨店の美術画廊で見つけた2つのぐい呑。カラフルな色使いの梟や魚、カワセミなどのポピュラーなモチーフと、オリエンタルな紋様、所々に金銀箔が用いられ、和のものとも洋のものとも思えないような独特の雰囲気の酒盃に一瞬で惹き込まれた。学生時代にセザンヌやマティスを見たのに近い衝撃を受けるとともに、ファッションや音楽等どちらかと言えばアートに近い所にいる自分が、なぜこれを知らなかったのだろうというショックすら感じた。そしてさらに、まさに海外で素晴らしいファッションブランドを見つけ興奮しているのと同じ感覚―忘れかけていたバイヤーとしての興奮を思い出した。それから1年弱、私はこの窯と土という現代陶芸を扱うオンラインストアをオープンし、今は毎月日本中を飛び回っている。
その2つのぐい呑の作家こそ伊藤北斗先生。まさに私を陶芸界に引きずり込んだ張本人。あの時美術画廊で北斗先生の作品を目にしなければ、おそらく今こうした記事を書いていることはなかっただろう。それほどまでに北斗先生の作品の色使いや構成は衝撃的で、陶芸という言葉からはとても想像もできないような強烈な色彩を放っている。嬉しいことにまだオープンしたばかりの当店のお客様や、周りのファッションデザイナー達からも、全く同じような感想をいただいたりする。そんな我々を驚かせてくれるような作品を生み出す北斗先生のバックグラウンドを探りに、日野の工房へ伺って話を聞いてきた。
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最初に美術に触れたのはいつごろでしょうか?
最初にと言うより、父がグラフィックやウインドウディスプレイなどを手掛けているデザイナーで。東京藝大(東京美術学校時代)の図案科(現デザイン科)出身で、親戚も金工など美術系が多くて。だから小さい頃から自然と触れていた感じかな。父が私をそういう道に進めたがっているとは子供ながら感じていました。
お父様の影響が強かったんですね。
そうだね、美術館に連れて行ってもらったりもしたし、絵を見たり、家にある雑貨などもアート系のものが多かったり。影響はあったと思いますよ。
中高は普通に?
中学から私立に行きました。というのもその当時の公立中学は校則が厳しく、髪も伸ばせなかったり服も自由じゃなかったり。私は小学校の時から割とやんちゃな方で、両親も、芸術性を育てるには自由な校風な場所に行ったほうが良いんじゃないかということで、姉も通っていた中高一貫の明星学園に入りました。
そうなんですね、中学もやんちゃでした?
まさにその当時はロック少年(笑)
ええ!?そうなんですか?どんなロック好きだったんですか?
ディープパープルとかレッドツェッペリン、ピンクフロイド(笑)
想像も出来ないですね(笑)
ちょうどQweenがデビューした頃で。KISSの初来日公演を観に行ったのも覚えています。クラプトンも観に行ったなぁ。中野サンプラザにチケット売り場があって、そこに朝早くから並んでチケットを取りに行っていたのを良く覚えてる。
Qweenがリアルタイム!
Qween、KISS、エアロスミスがまさにリアルタイムで。中学のときはバンドに明け暮れていました。高校の頃にポリスがデビューして。スティングは今でもずっとライブ行き続けてる。
へぇー、そういう感じだったんですね!スティングは僕もライブ行きました。When we danceの頃。
そうなんだ。スティングはやっぱり歌が上手いし、曲がいいよね。ポリスがデビューしたのが高校の時。ポリスといえばDe Do Do Do, De Da Da Daって曲の日本語版あるの知ってる?
え、それは知らないです。
初来日した時に実はそんなの出してるんだけど、ちょっとダサいんだよね(笑)
それはダサそう、いかにもダサそう!(笑)
スティングの中で黒歴史になってるんですよ。探してみてください。ポリスは残念ながら1回目のライブは行けなくて、でも解散前には一度ちゃんと観に行くことができて。それとあとトーキングヘッズも好きだったなぁ。
どんどんマニアックになっていきますね(笑)
日本だとサザンがずっと好きでライブも行ってますよ。昔は勝手にシンドバッドとか、やんちゃな曲やエッチな曲もたくさんあって。今の若い人には大御所的な存在なんだろうけど、出てきた頃の、当時で言う洋楽っぽいノリが強烈だった。
幅広いですねー!
昭和歌謡とかクラシックもジャズも好きで。サブスクリプションサービスが始まってから、本当に便利で。CDの時代は、轆轤やってると動けないから、同じアルバムばっかりループしてたけど、今はほんとにいろんな音楽聞き返したりもできて、ランダムで色々聴いてます。
ジャズはどのあたりが?
入りはハービーハンコックとかチックコリアとか。ロックからジャズに入ったので、ウェザーリポートとかクロスオーバーから聴き出して、そこからどんどん遡ってマイルスデイヴィスとかビルエヴァンスとかオーセンティックも聴いたり。ウェザーリポートはジャコパストリアスが衝撃的だったよね。あとチックコリアのリターントゥフォーエバーとか大好きでした。
凄い、音楽家の僕より詳しい、、、
あとV.S.O.P(Very Special Onetime Performance)ってグループがあって。ハービーが、ロンカーター、ウェインショーター、トニーウィリアムスって凄いメンツ揃えて、そこにマイルスが合流予定のところマイルスが抜けちゃって、フレディハバードってトランペット奏者が入って。それで急遽組んだバンドがV.S.O.P。それが日本の当時田園調布にあった、田園コロシアムで来日公演して。大雨の中ものすごい演奏をして、今歴史的名盤って呼ばれてるんだけど、実はそのコンサートたまたま観に行ってて。
歴史的名盤ライブを目の当たりに!というかめっちゃ音楽詳しすぎて、このまま一日終わりそう(笑)
実際私の作業は轆轤だったり絵付けだったり、その間刺激を受けるものって音楽しかないから、制作してる時間分音楽も聴いてるわけなので。でもそっか、自分の話もしなきゃだよね(笑)
そうです、一応陶芸のページに載るんですよ(笑)
そうそう、そんな感じで中学ではバンドやってて、高校はもう音楽の才能は無いって気づいて、それで高3になって美術の予備校行くようになって。
藝大を目指してたんですか?
というよりも父親が藝大じゃないとダメだって。
スパルタですね(笑)
私立全く受けずに、何年か浪人して藝大に入りました。ただ最初はデザインという響きと、イメージだけでデザイン科を受けてて。
確かにデザインてカッコいいイメージありますよね。
そうそう、〇〇デザイナーとか、昔からファッションも好きだったし。
ファッションもお好きなんですよね。
中学ぐらいからファッション好きで、髪伸ばしたりとか。70年代なのでロンドンブーツとベルボトム(笑)
ええー!想像もつかない(笑)すると高校ぐらいはDCブランドブームとかですか?
それはまさにちょうど浪人中ですね。コムデギャルソンのメンズが出来て、パルコが出来てDCブームで。ギャルソン、ヨージ、イッセイ、KENZOとか、JUNとかタケオキクチ、メンズビギもその当時だよね。
うわー、懐かしい名前!その中でギャルソンが好きだったんですか?
圧倒的にギャルソンが好きで、他とは全く違うものに見えて。最初見た時本当にこの人天才だと思いました。
川久保玲さん。
そうそう、今でこそ普通かもしれませんが、あの頃アシンメトリーな服なんてなかったわけで。あと裏地を表に持ってきたり、わざとボロ布を使ったり、フォーマルな服の一部だけMA-1に切り替えられてたり。本当に斬新に見えたし、今でもギャルソンは好き。DMが来ると、そのデザインとか凝ってるから見ちゃう。
(工房にはコムデギャルソンのDMが貼られている)
そうなんですね。確かにそれだけファッション好きで、良いデザイナーを知ってたら、デザイン科ってなるのかもしれない。
そうそう、でもよく考えたら金工やってる親戚はみんな工芸科で。父も、デザイン科を出るとクライアンと仕事が中心になるから、自分の好きな作品を作るなら工芸のほうもいいんじゃないかと勧めてくれて。
それで工芸科に行かれたんですね。
はい、今考えるとやっぱ浪人中に色々と見たものの影響が大きくて、例えば久保田一竹の辻が花なんか本当に感激したし、それも工芸ですしね。
僕も久保田一竹美術館行ったときは感動しました。まさしくあの目に刺さるような色は北斗先生の色使いと通ずるものを感じます。絵画なんかも色々と見られましたか?
もちろん。西洋だとやっぱりマティスとかパウルクレーとか、あの辺りは好きだし、セザンヌも大好き。
僕セザンヌ好きすぎてセザンヌの墓まで行きました。
ほんとに?セザンヌは一時期凄い研究して、着彩の部分とか、あとやっぱり、今でも影響あるのはセザンヌの構図。あの法則は今でも利用してる。
本当ですか!?
大皿の蟹や蝶の配置なんか、セザンヌのりんごとオレンジの構図を元に配置しいてたり。悩んだときなんかもセザンヌ理論を意識してる。
いやそれは凄い!僕が北斗先生の作品がきっかけで陶芸に引き込まれたのも、セザンヌを通して感じるものがあったのかもしれない。
そうかもしれないですね。あと琳派の宗達、光琳の配置の仕方も。
琳派も大好きです。
黄金比ってあるでしょ?生物が進化していく過程で黄金比って必ず存在していて。オーム貝のうずまきの比率とかってよく言われるけど、人間の身体、手と腕の比率とか、ものってほとんどそれで出来ていて。例えば新聞紙のサイズとか、琳派はそれを取り入れていて。建築とか、音楽も、ステーブライヒとか、ミニマル・ミュージック、反復音楽っていうんだけど、それも黄金比を取り入れていたり。
またマニアックな音楽が(笑)しかし勉強になります。本当に。構図はセザンヌ、色は北斗先生のカラーはマティスのイメージがあります。
マティスも最高だよね。
ニースのマティス美術館も、マティスのお墓参りも行きました(笑)マティスの赤は本当に鮮やかで、まさに北斗先生の作品のカラー。フォービズムですね。釉刻色絵金銀彩、フォービズム。
現代だとフランチェスコクレメンテ。クレメンテの作品を見ると精神が錯乱してくる。
クレメンテも原色を使ってるイメージですよね。
そう言われてみるとやっぱり色が鮮やかなものが好きなのかもしれない。デイビットホックニーも好きだし。色がいいし迷いが無い。
やはり鮮やかなカラーに惹かれるのですね。話を戻しますが、それで工芸科に入って、やはり辻が花のような染色をやろうと思われたのですか?
そうですね、藝大の工芸は、1年生では鍛金、彫金、鋳金、染色、漆、陶芸など一通り全部学んで、2年で3つに絞るんだけど、それで鍛金、染色、陶芸に絞って。鍛金も面白かったし、それで色々な家具を作ったりと想像は沸いたんですが、金属は唯一色が無いということがやっぱり私には物足りなく感じて。それで染色も考えたんですが、陶芸のほうが当時良い先生が多かったんですね。藤本能道先生や、田村耕一先生などトップレベルの先生が当時の藝大にいて。それで当時藤本先生の作品を見た時に、「焼き物でこれは凄い」と思い、陶芸を選びました。当時あんな鮮やかな色絵があるなんて知らなかったし、陶芸と言うと、登り窯の前で難しい顔した作務衣着た陶芸家が、出来が悪い作品を割ってるようなイメージしかなかったので(笑)
確かに、今でも陶芸ってそんなイメージだと思っている人も多いですしね(笑)でも「焼き物でこれは凄い」は、今私含め皆さんが北斗先生の作品を見て感じていることだと思いますよ。
それは嬉しいですね。そんなこんなで陶芸を選んで。最初は轆轤。土物をとにかくやって、大学院に入ってから磁器を触りました。
それで卒業後は藤本先生にお弟子入りですか?
そうです、3年修行して、4年目に先生が亡くなられて。そこから日野市に築窯して独立しました。
最初はグループ展とか出されるのですか?
そうそう、でも藤本先生の所にいたことで信用があったのか、独立して2年目ぐらいには百貨店でやらせていただいて。
2年ですか?早い!最初は作風も全く違いましたか?
そうですね、藤本先生のカラーを踏襲するような作品でしたが、少しずつ色が増えていって。焼く回数も増えて。ワインカラーのボルドー釉を作って。その辺りからカラフルな色数が少しずつ増えて行って。
そこから釉刻色絵金銀彩につながるのですね。釉刻色絵金銀彩の作品は、磁器なのに白磁に絵付けした作品にはない温かみのある肌感があります。
マティエールを大事にしてる部分はあります。白磁を残さないし上絵で何度も焼くので、冷たい感じは残らないかもしれない。
やはり4回とか上絵で焼き重ねるんですか?
そうですね、なので一つの作品にかなり時間がかかっています。コロナ禍になってからさらに出かけなくなったので、ほとんどここで作業してます。
その前は色々と旅行に行かれたんですか?
もちろん、コロナ前だとバリ島行ったり韓国も行ったり。そういうインスパイアは作家にとって大事で。やっぱり美しいものを見たり聴いたり、そういうことが頭の中に残って、それが自分の作るものに反映されているんじゃないかな。
作品からオリエンタルな雰囲気を感じますが、そういった旅行などからインスパイアされたりするのでしょうか?
もちろんそれはありますよね。モチーフって意外な場所に色々とあって。例えばバリ島で川下りしてる時に見た壁面のレリーフだったり、あるいは有名な寺院とか行くと、メインじゃないところの紋様が凄く良かったり、イタリアのローマで見た遺跡なんかでも、転がってる像のただの土台の一部分の模様が凄く良かったり、そういうものが、いざ自分が作品を作る時にふと降りてきて、あぁあれが良かったんだと気付かされたりとか。メインじゃない所にあるデザインて実は凄く面白かったりします。和室でもふすまの取っ手部分とか、普通あんまり気にしないデザインに目が行くことが多い。そっちあってのメインだから、メインだけだとお腹いっぱいになっちゃうでしょ?
確かに、北斗先生の面取の作品なんかもアイコニックなものと、そうでないものが上手く配置されていると感じます。構成は頭の中で組み合わせていくイメージですか?
頭の中で色んな要素をミックスして、それを組み立てていって、作品に注ぎ込むってイメージですね。音楽とかファッションとか、色々見たり感じたりしてきたものが要所要所に表れてると思います。
韓国にも行かれたんですね。
韓国もソウルに行きました。街の勢いとか色々と刺激受けたんだけど、韓国といえば忘れられないのが現地で食べたサムゲタン。詳しい友達に教えてもらって行ったんですが、今本当にあれがもう一度食べたい。
もしかしてトソクチョン(토속촌/土俗村)じゃないですか?
そうそう!それ!行ったの!?
もちろんです。僕10回は韓国行ってるので(笑)あそこは本当に喋ることを忘れるぐらい美味しいですよね。
あそこ最高だよね。あの雰囲気と味がほんとに忘れられなくて。味も本当にそうだけど、忘れちゃった日本の雰囲気のようなものもあって。コロナ収束したら是非行きたいと思ってます。
まさかこのインタビューでトソクチョンの名前が出てくるとは。。。
韓国ってエンタメも凄いじゃないですか。そういえば子供がKpop好きで、コロナ前にBLACKPINKのコンサートも行きました。
え…と、東京ドームですか?
東京ドーム、女の子の歓声が凄くて、あんなテンション高いライブは本当に久しぶりだった。
もうトソクチョンどころじゃないですよ(笑)北斗先生の口からブルピンの名前が出るとは、、、(笑)どうでしたか?楽しめました。
良かった。純粋に歌もダンスもクオリティ高いから凄いですよねKpopは。時代劇とか映画も質の高いものが多いのでよく見てます。
Kpopも凄いですが、北斗先生の振り幅がほんとに凄いです(笑)そういったもの全てが作品にあらわれてくると思いますが、新作はこれまで以上にヴィヴィッドな色使いですね、本当に鮮やかで。
今年はコロナ禍で暗い雰囲気があったので、意識的に明るくしたところもあります。
さっきも言いましたが、僕は初めて北斗先生の作品を見た時に、「こんな陶芸あるんだ!」って驚きましたが、先日の個展でもそのように驚かれてるお客さんがいらっしゃいました。やっぱりそういった反応される方は多いですか?
作品を初めて見られた方には、そういう風に言っていただくことが多いですし、そう言ってもらえるとやっぱり嬉しいですよね。私もやるからには今までと違う新しいものを作りたいと思ってるし、コムデギャルソンじゃないですが、ああいうこれまでにないものを作るという精神は大切だと思います。もちろん古いもので良いものはいっぱいあるんですけど、それはその時代が作ったものというのもあって、それを再現するとうのは、技術的には良いのかもしれないけど、作家としてはあまり意味がないと思っていて。ただなぜか日本だけは昔のものを再現したら名人と呼ばれたりする文化があって。
それ日本だけなんですかね?
そう思いますよ。だってアートで考えた時に昔のものを再現しても、別に評価されないわけで。それよりも今までと違うものをやった人が評価される。それを追求する人ははそれで良いし否定するわけではないけど、ただ自分がやることじゃないなと。
あくまで新しいものを生み出したいと思われているんですね。最後に、作品をお持ちの方にはどのように楽しんでもらいたいですか?
もうほんとにお好きなように、使っても飾っても見立てても、自由にアレンジして楽しんでもらえたらと思います。とにかく気に入ってもらえて、手元に置いてもらえることが嬉しいです。
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私は恵まれたことに、ファッションの世界ではコシノミチコさんはじめ、大御所と呼ばれるアーティストの方々とお仕事させていただく機会が多くあった。その中で感じたことは、音楽でもファッションでもいつまでも人気な大御所たちに共通する点は、とにかく年齢に関係なく常に新しいものを見ているということ、そして自分の作品についてあまり語らないということだ。彼らは一貫して、年を取ろうがなんだろうが自然と若者カルチャーをチェックし体験し、そういった感性を素直に受け入れられる能力を持っている。そしてあまり自分の作品について語らないのは、常に新しいものを追い求めているため、作ったものはすでに過去であるという感覚があるように思える。まさに世に言うアーティスト気質とはそういうこと。大事なのは作ったものじゃなく、これから作るもの。だから語らないのではなく、おそらく忘れちゃったり、語れないんじゃないかなと思う。
北斗先生の工房へは何度も伺っており、その度にいろいろな話をするのだが、ほとんどがこのインタビュー同様、音楽やカルチャーの話ばかり。そして先生は私より一回り以上年上なのだが、そういった話をするのに全く世代差を感じさせない。むしろ我々世代でも少し行くのを躊躇うBLACKPINKのコンサートに、お子さんと一緒とはいえ行き、そして「楽しかった」と言えてしまうその感覚は、まさに私がこれまで感じてきた大御所のそれそのもの。そして同様に北斗先生もご自身の作品についてあまり語らない。日本人はアーティストにドラマチックなバックグラウンドを求めがちだが、そもそも本来全ては作品が語っているわけで。興味あることとか好きなことはいくらでも語れるけど、作品に関しては見た人が自由に感じてくれればと、そんなスタンスが、私が接してきたアーティスト達と非常に近く、まさに北斗先生も生粋のアーティスト気質をお持ちなんだと、あらためてそう感じたインタビューだった。