予約制ギャラリーのある「料亭やよい」と二子花街の歴史
by 森一馬窯と土では、ご希望の方に実際に作品を直接ご覧いただけますよう、川崎は二子新地の「料亭やよい」2階にて予約制ギャラリーをご用意させていただいております。
実はこの田園都市線の二子新地駅から大山街道を挟んで多摩川沿いのエリアは、昭和の初め頃より二子三業地(三業地とは「置屋」「待合」「料亭」の三種類の営業が許可された地域)と呼ばれる花柳界、いわゆる花街として栄えておりました。そのきっかけとなったのが、二子玉川と二子新地を結ぶ「二子橋」の建設。渡し船しかなかった地域に、建設関係者などたくさんの人が来るようになり、川を挟んでお向かいの瀬田周辺の旅館は連日賑わうようになります。
そして二子では、吉原で待合を経営していた大貫吉之丞という方(岡本太郎さんの母、かの子さんの祖父)が、二子橋開通後にこのエリアに歓楽街を作ろうと計画。最初の待合「大和」を開業し、また関東大震災で大きなダメージを受けた吉原から芸者さんや料亭、置屋などを呼び寄せ、二子三業地を作ったのでした。
その後の多摩川電鉄溝ノ口線が通ったことで二子三業地は最盛期を迎え、当時50件を超える待合があり、100人以上の芸者さんがいたそうです。
そんな最盛期の二子三業地、昭和33年に売防法が施行されたことにより、多くの待合は一気に廃業し、唯一残った待合が窯と土のギャラリーがある「料亭やよい」なのです。
↑当時の三業地マップ
実はこの辺りは元々、筆者のウォーキングのコースでした。もちろん花柳界があったなんて全く知らず、ただこのやよいの前を通ると一瞬昭和の時代にタイムスリップ出来るようで、「なんでここだけこんな雰囲気が違うのか」と中を覗き込んだり、外から眺めたり、気になって仕方がなかったのです。そしていざ自分が陶芸販売を初めたいと思った時に、このきっと素晴らしいであろう雰囲気の場所を使って何かできないかと考え、思い切ってやよいに電話をしてみたところ、女将さんに「そういうことであれば是非使っていただきたい」と奇跡の返答をいただきました。そしてこの料亭やよいの2階の1部屋を、窯と土の陶芸ギャラリーとして使わせていただくこととなりました。
現在は筆者のお茶の先生でもあるやよい三代目女将の山本喜美枝先生。藤間流日本舞踊の先生でもあります。特に日本舞踊は教え始めてからもう50年以上にもなるようで「ひと目見ただけでその人のカダラがレントゲンのように全てわかるの。」とのこと。
やよいは初代女将が「おしず」という名で開業。次第に「お」の付く名前の待合が増えてきて、お客さんが間違えるので「やよい」へと改名されたそうです。この辺りは昭和50年頃までは芸者さんもいたようで、「夜になると街頭がともって、たくさんの人が行き来して賑やかでした。鮎の季節や花見の頃は当時の文化人や芸術家が詰めかけて、お祭りの時は女神輿もあったし、とにかく華やかだった。」と喜美枝先生。
↑やよいの前身、おしずの頃の希少な写真
「みんな廃業していく中で、うちはお母さん(二代目女将さん)が料理を作ってたから、予約制の料亭として営業を続けることができて。細々とやってたらある時キャノンの若い社員さんが『花街を知りたい』って遊びに来るようになって、それから凄く忙しくなったり。あなた(筆者)もそうだけど、時々そうやって興味を持ってくれる人がいて、それで楽しくなれば幸せなの。座右の銘?お母さんは『日々是好日』が好きだったけど、私は無いなぁ。多分毎日楽しいんだろうね。楽しいからそんなのいらないんだろうね。」
↑二代目女将さんと小さい頃の喜美枝先生
「この辺りは濱田庄司さんの出身でもあるし、義理の息子さんの岡信孝さんも川崎。芸術家も多いし、二子神社には岡本太郎さんが岡本かの子さんへ捧げた記念碑もある。バーナード・リーチや川端康成ともゆかりがあるので、だからあなたから陶芸ギャラリーに使いたいって言われた時に二つ返事で『是非』って言ったの。コロナでなかなか新しいことができないけど、いつか海外からの観光客が戻って来たら、ここに外国人の方を招待して、着物を着てもらって、お食事とお茶を飲んで日本文化を体験してもらって帰っていただくと、そういうことがやりたいです。」
↑イタズラ大好きお茶目で元気な先生です(笑)
ということでやよいと花街の歴史でしたが、窯と土は、こちら二子新地の歴史的建造物やよいの2階にて作品を展示しております。作品にご興味いただきました方は、素晴らしい作家達の作品と、この風情ある空間を体験できる窯と土ギャラリーへ是非お立ち寄りください。また、茶道や踊りに少しでもご興味あります方も是非お気軽にお問い合わせください。体験も出来ますよ!
予約専用ダイヤル
044-571-7459
〒213-0002 神奈川県川崎市高津区二子1丁目20−1
田園都市線二子新地駅より徒歩3分
※花柳界の写真は高津区制40周年誌「たかつ・ひと・まち・記憶」よりお借りしました。