ギークなバックグラウンドが産み出すアヴァンギャルドな白磁 ~松村淳インタビュー~
by 森一馬東武動物公園からほど近い南埼玉郡宮代町。動物公園の裏には「新しい村」という、農業体験や直売所、カフェなどを備えた地域参加型コミュニティヴィレッジがあり、東京から小一時間とは思えないほど非常にのどかでゆっくりとした時間が流れている町だ。その宮代町にある松村淳氏の工房を訪ねたのは今回で2度目。一見なにかの製作所のような工房にはスケートボードが置かれ、ハット姿の松村氏と、パートナーで香港出身の陶芸家、アマンダさんが笑顔で迎えてくれる。コロナ前は毎年10回以上海外へファッションの買い付けに行っていた私だが、二人の英語の会話に混ざりながら、アヴァンギャルドな作品を吟味していると、まさに海外でファッションのバイイングをしているような気分になる。アマンダさんの淹れてくれるジャスミンティーで温まり、居心地の良さに気づいたら4時間、つい長居してしまう。そんな素敵な工房から、次世代の人気陶芸作家、松村氏のインタビューをお届けする。
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東京から車で1時間ぐらい、それほど遠くないのにこの宮代町という町は非常に落ち着いていますね。
あ、これどうぞ(MUJIのドリンクを差し出しながら)、実は駅前にMUJIが出来て、半年ほど前から町中で話題でした、MUJIが来るぞー!って大騒ぎ(笑)
東武動物公園もあって春日部からほど近い町なのに、そんなローカル感があるんですね(笑)
モスバーガーが出来た時も大騒ぎでした(笑)
松村さんはこの宮代町の出身なのですか?
いえ、出身は千葉で、5歳のときにここに引っ越してきましたので、育ちはほぼここですね。父が木工の家具職人で、この工房も木工所として使っていた場所なんです。
お二人の器でいただくジャスミンティー。
そうなんですね。お父様が職人なら、その影響を受けられてそうですよね。
はい、父はとにかく凝る人で、鉄道模型にも凝っていて、家の3階が全部鉄道模型になったりしていました(笑)
それは凄い、かなりギーク(マニア)な趣味をお持ちなんですね。
それで僕もプラモデルを買い与えられて、父の隣で作ってて。ある意味ものづくりの英才教育でした。
あー、そうなんですね、そういうバックグラウンドがあるんだ。ではそのままアートの道に?
いえ、小学校の頃将来のことを考えた時、ジュラシックパークの影響で恐竜の研究をするか、また生き物に興味があったのでその道に行くか、アーティストになるか悩んで。
しょ、小学校で!?
そうですね、小学校ぐらいでみんな将来何になりたいか考えるじゃないですか?
まぁそれはそうですが、、、でも宇宙飛行士とか漠然としたやつですよね(笑)
そうなんですけど、僕の場合そこで3つの選択肢が出てきて、ただ恐竜に興味を持って本を読んだ時に、恐竜はどうやっても現代に復活させられないとわかってしまい、その夢は消えました。また、アーティストは食べていけないと漠然と思っていて、ちょうどその頃父や兄が熱帯魚を飼い始めて。兄も生物学みたいなことを学んでいたし、父も生き物とか好きで、自分も理科系を目指そうと。それで高校は理系に進み、大学は生物学専攻でアメリカの大学に行きました。
小学校でそれを決めてちゃんと大学までつながるって驚愕ですね。。。しかも生物学で留学までされて、エリートコース!アメリカはどの州ですか?
アラバマ州(笑)なんにも無いんです。2時間ぐらい車で走るとニューオーリンズがあるので、時々ジャズクラブに行ったりはしましたが、ほとんど遊びに行かなかったですね。アメリカの大学は卒業するのが難しいので、勉強ばかりしていました。
コロナ禍ステイホーム先取りですね(笑)英語は喋れたのですか?
いえ、出来なくて行ったので、英語も車の免許もアメリカで取得しました。キャンパスもこの宮代町ぐらいあるんじゃないかってぐらい広くて、車で移動しなきゃいけないので。
そんな広いんですね。それは面白い。食事とか大丈夫でした?
全く大丈夫ではなく、4年も向こうにいるので、日本食が恋しくなるのですが、これがなかなか美味しいのが食べられなくて。それで自分で作るようになり、そこで器が気になり始めたことで、陶芸への興味が少し湧いてきたのを覚えています。また、生物学以外に写真やドローイングの授業も履修しており、副専攻がアートという感じで、アートが面白いと感じるようになってきてしまい。帰国したときには生物学よりアートに関心がありました。
そこから陶芸の道に行かれたのですか?
帰国してしばらくカフェでアルバイトしたりしていて、バリスタになろうかとコーヒーの勉強していた時に、桑田卓郎さんとか、いわゆる典型的な陶芸のイメージから外れた作品を作る作家がいらっしゃるのを雑誌で知って、そういう面白い作品を作る人がみんな多治見の意匠研究所出身だったのですね。それでそこに行こうと決心しました。
それから多治見に住まれるんですね。意匠研究所に入られて最初はどのようなものを作りましたか?
いきなり最初に「白磁は無理、これは上級者用」って言われてしまい、ただ自分も入った時すでにいい歳だったので、あまりゆっくりやるつもりもなく、早速白磁を始めました(笑)というのも僕はルーシーリーが好きなのですが、最初ルーシーリーっぽい形を作ろうとやっていたら、意外に早くあの形は出来てしまうんですよね。あくまで形だけですけど、あれ、できちゃった、じゃあ次どうしようって思った時に、クラスメイトが焼き物をヤスリで削っているのを見て、ちょっと自分もやってみようと。
すごい、ほぼ独学みたいな感じですね。
なんとなく陶芸=器というものが頭にあったのですが、それ以外のものも作れるんだと思ったら急に視界が開けた感じがして。意匠研究所でも割と自由にやらせてもらって、1年後にはもうオブジェみたいなものも作っていました。
そうなんですね。その後金沢の卯辰山工芸工房に行かれていますよね。
はい、多治見で2年やった後、どうしようか考えていたのですが、とりあえず卯辰山の試験を受けたら受かったので、そのまま金沢で勉強しようと金沢に行きました。
金沢は私の故郷で九谷や絵付けのイメージですが、様々な作家さんが卯辰山で学ばれてますよね。
そうですね、すごく手厚くサポートしてくださって、良い経験でした。
作品をギャラリー等へ出したのはいつが始めてですか?
金沢へ行った年に、多治見のギャラリーから声をかけていただき、グループ展に参加させてもらいました。2年目には香港で個展をさせていただきました。
初個展が香港!?
そうなんです、最初の個展が香港でした。金沢卒業後は香港のアーティストインレジデンスの方に誘って頂き、数ヶ月そこで作陶したりしました。
凄い。作風もすでにこの感じだったんですか?
そうですね、すでに白磁で尖った作品を作っていました。
来客時には工房前に一輪挿しを飾ってくれる。
作品からかなりギークな印象を受けるのですが、やはりアニメやゲームからインスパイアはありますか?
はい、父や兄はまさしくガンダム世代でそれを見ていたのもありますし、父は木工をやる前には玩具会社に勤めていたのもあり、おもちゃなんかは父も興味があるため、言えば買ってもらえる子供時代だったので、そういった影響はかなりあると思います。
松村さん自体はエヴァンゲリオン世代ですしね。
もちろん大好きで、エヴァと一緒に育ってきたと言っても過言ではないぐらいです。小学生のころから見だして、ようやく今年終了しましたが(笑)
この茶盌なんかはそういったギークさ全開だと感じますが、これはどのようなインスパイアがあって作られたのですか?
実はこれはあるギャラリーで展示をやった際、ギャラリーの人からお茶盌とはこうあるべきだみたいなことを言われて、その要素を全部詰め込んだらこうなったんです。
いや?ならないですよ普通は!(笑)
ならないですかね?(笑)
90度回すとか、茶杓が乗っかるとか、あと磁器土は熱くなるのでお茶盌難しいというのが言われているので、実はこれ二重構造になってるんですよ。
磁器の熱伝導を防ぐため、底は二重構造になっている。
え?ほんとだ!確かに僕もメインで磁器の茶盌使ってますが、確かに陶器に比べて熱いですよね。
手が当たるところを二重構造にすれば熱くないんですよね。なので、茶盌はこうあるべきだと言われたことは全て押さえてる。言ってくれた方は、もうちょっと落ち着いた茶盌作れという意味で言ってくれたと思うんですが、逆に行っちゃたんですよね(笑)
基本はそういった意見を聞いたら作品は大人しくなるはずですもんね。現代的解釈ですね。
お茶の面白いところって、決まっているようで実は何やっても良いというとこだったり。
そうですね、前も話しましたが、利休も時代が今ならカニエウエストみたいな感じですよね。
そうなんですよね、その時代にあった面白いものを作ったり選んだり、森さんにカニエになってもらわないと(笑)
昔はSUPREMEが好きだったという松村氏、板もSUPREME。
頑張ります(笑)こちらの茶盌も造形が非常に美しいですが、これはどのように作るのですか?
これは轆轤挽いてまず形を作っていって、それから削っていきます。
轆轤なんですか!?そこから削ってここまでなるんだ!
はい、轆轤挽いたばかりはこんな感じで(以下、制作過程)
凄い、このように少しずつ変化していくんですね!途中で焼き入れて削って形整えて、相当大変ですね。
そうなんです、だからよく腱鞘炎になるんですよ。それで最近、腱鞘炎でも使える急須というのを3Dプリンターで作ってみたんですよ。
おお、これまた凄いギークな形!
はい、まだプロトタイプですが、これを将来的には製品化していきたいと考えています。今後3Dプリンターをさらに突き詰めていったり、そういった新しいことにも挑戦していきたいです。
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インタビューで聞き忘れた「作品をお持ちの方にどのように楽しんでいただきたいですか?」という質問をメールで訪ねたら、以下のような熱いメッセージをいただいたので、これを持ってインタビューの締めとさせていただく。
最近、制作中にふと思ったのですが、作品との関係の長さ、親密度で言うと、自分よりも自分の作品をお持ちの方のほうが長くなるなと。
自分は考案段階から仕上げまで、触らなかった場所は無い程に時間をかけて作ります。ですので、勿論作品の詳細は目を閉じてでも具現化できます。
しかし、10年、20年とお持ちになった場合、自分以上にその方は、作品の事を知り得る筈だと気付いたんです。
変な例えですが、子供の頃に買ってもらったお気に入りのゴジラのソフビは、それこそ未だに細部まで覚えています。
昔の茶人も、お気に入りの道具を一日中眺めまわして、シミやヒビを見つけては、愛おしさを感じながら、自分だけの銘をつけたりしていました。
ですので、作品をお持ちの方には、その作品との関係を作っていってほしいです。
色々な物に使ったり、欠けたら継いでみたり、一緒に寝たり、お風呂に入ったり(これは私とソフビゴジラとの実際の関係です)…
自分の作品が、このように誰かの”お気に入り”になってくれれば、幸せです。
私も、私が欲しいものしか制作しないので。
*陶磁器は割れると危ないので、一緒に寝ないで下さい。