志野焼誕生の地から 奥磯太覚インタビュー
by 森一馬窯と土を初めて最初に美濃を訪れた時、真っ先に向かったのが可児の荒川豊蔵資料館だった。あれから約3年。志野を探し求め、まさか同じ場所に還ってくるとは夢にも思わなかった。
同じ場所といっても今回訪れたのは荒川豊蔵先生の陶房から車で2分、奥磯太覚さんの陶房。志野誕生の地と言われる大平古窯跡群から目と鼻の先、その古窯を再興しようと父、栄麓氏によって名付けられた大平窯に到着すると、立派な髭を蓄えた太覚さんが出迎えてくれた。
奥磯栄麓さんの作品を当店で何度か扱わせていただいたことがある。アバンギャルドで現代的な造形でありながら、しかし肌を見ると非常に奥深いテクスチャー。素材にこだわりながら現代的な造形を目指すその作風は、あらゆる意味で土や素材が取れなくなった今ではなかなか見られないものだ。そんな極上の素材を用いた志野はやはり現代では不可能と思い込んでいた矢先、とあるギャラリーで見せていただいた太覚さんの作品。まさにお父様を思わせる肌と、より端正な佇まいに一瞬で惹かれた。何ヶ月かアプローチを試みたがなかなか連絡がつかず、ようやく今回話を伺う事が出来た。
「まず父の話をしますと、元々洋画家だった父は、加藤十右衛門先生のところに2,3年修行に行った後、ほとんど独学で志野を初めました。その頃はちょうど高度経済成長期で、そこら中で造成工事が始まり、いろんな窯跡が発見された時期で、父はそういった古窯を手弁当で周って、志野焼を研究しました。その結果、やはりもぐさ土を用いて薪窯焼成するという伝統的な手法にたどり着き、『志野はこうだ』という確固たるものになりました。私は中学生ぐらいから薪割りなど父の手伝いをし、大学生になる頃にはろくろ以外はすべてできるようになっていました。」
お父様のことを「唐九郎の愛弟子」と表現する記事を目にするが、その辺りの関係性はどうだったのか。「あの当時、父と同時期に川喜田半泥子先生が脚光を浴びるんですね。あの時代、それまでは焼き物は職人が作るものだったんですが、父や半泥子先生の登場により、いわゆる職人的ではない、数奇者の陶芸が世に生まれた。唐九郎先生もそれ以前は古典的な作風だったのですが、父の作風を見て「これ行けるな」と思ったんでしょう。唐九郎先生の後期の作品は父の影響が色濃く出ていると思います。」
後期の唐九郎の作品に栄麓さんは影響を受けていると思っていたが、なんと真実は逆だった。そんな唐九郎にも影響を与えたお父様が他界され、太覚さんは大学(名古屋芸術大学彫刻科)卒業と同時に作陶を初める。「ほとんどのことは父から学んでいましたし、茶碗などの良し悪しに関しては陶芸家でもある母が判断してくれました。そうしてろくろや茶碗作りを覚えていきました。」
太覚さんの作品が筆者を惹きつけたポイントは、やはり薪窯、もぐさ土と良質な長石に拘った素材によるねっとりとした潤いのある肌と、そしてお父様のアート性と桃山のオーセンティックが融合された独自性。「土に関しては、豊蔵先生と同じ土を使っているんです。というのも、今うちと豊蔵先生の陶房の間にゴルフ場があるのですが、そこが昔は自治体が管理する公有地で、豊蔵先生も父もそこから土を取っていました。その土地が民間の手に移り、ゴルフ場が建設されることになったんです。その造成時掘り起こした土を、工事が終わったあとなら取っても良いと許可をもらい、毎晩家族で土を取りに行きました。志野にはその時取った土をずっと保存し使い続けています。練ってから保存するのではなく、作陶の前に練るようにしているのは、『土は生きているので、練りすぎて土の特性を殺すな』という父の強い思いを引き継いでいます。素材の良さを出来るだけ活かすという父の感性が、土の特性とうまく噛み合っていると今は思っています。」まさか荒川豊蔵と同じ土を使われているとは。。。そして素材は長石も含めすべて地元のものを用いるという太覚さんの強いこだわりが、あの柔らかい風合いを生み出しているといっても過言ではない。「作風に関しては、父の作陶は本当に自分の呼吸がそのままろくろに載るような勢いのあるものでした。あれは私には出来ないですが、しかし時代も進み、私も長く作陶している分技術は身についているのかなと思っています。数年前、ご生前の林屋清三先生に茶碗を見てもらったことがあるのですが、先生に『お茶碗はお父さん超えたね。』と言っていただきました。コロナ禍を境に個展が中止になり、ちょうどそろそろ動こうかなといったタイミングでお声を掛けていただきとても嬉しく思っています。」
志野焼の誕生時にどういった時代背景があり、どのようにして志野焼が生まれたか。あまりに長い話になるのでここでは割愛するが、そういったことに対し独自の解釈を持たれ、またベースにはお父様の作陶姿勢をしっかりと受け継ぎながら、茶道にも励みつつ自分自身のカラーを出していく。家宝とも言えるだろう土と薪窯を大切に守りながら、さらなる高みへと目指していく太覚さんの今後から目が離せない。