-唐九郎に憧れて- 鈴木都インタビュー
by 森一馬鈴木都さんの作品は以前から目にしていて、どこか唐九郎を感じさせる風合いが気になっていた。そんな中彼のSNSに上げられた、深い貫入の入った赤銅志野にすっかり惚れ込みコンタクトさせていただいた。
彼の唐九郎への憧れは以前どこかの記事で読んでいたが、お会いして驚いたのはご本人から溢れ出るレゲエ感。私も20代の頃にDUBというレゲエミュージックの1ジャンルにはまり、バンドの音響処理やレゲエのDJなどをしていたので、一瞬で親近感を覚えてしまった。案内された部屋にはレコードがずらり。「なんだ、先に言ってくださいよ」と、思わず口にしていた。
土岐の山間で作陶する姿に、ブルーマウンテンでコーヒーを育てるラスタマンをつい思い浮かべてしまうが、ご本人は「ラスタではないんですよ」とのこと。音楽の話も交えながら、やきものとの出会いから聞いてみた。

「小学校の三年生だったか四年生だったか、ちょっと定かではないんですけど、父から「唐九郎のやきもの教室」という本を買ってもらって、夢中で読んでいました。最初は作風より、この人なんか面白い人だな、という印象ですね。語り口とか独特で、面白いおじいさんだなと。
ちょうど小学校の図工の先生が趣味でやきものをやっている人で、学校に電気窯もあったんです。造形クラブという、陶芸クラブみたいなものがあって。本を読んで興味を持った頃にクラブ活動も始まったので、その造形クラブに入りました。
そこで色々作り始めるのですが、クラブ活動だけだとちょっと飽き足りなくて。先生にお願いしたら自分で作ってきたものも焼いてあげるよと言ってくれたので、家でも作っていました。作ったものが焼けてくるのが楽しかったですね。湯呑みとか、茶碗とかを作っていたと思います。
土はクラブにもあったんですけど、近くに東京丸二陶料という陶芸材料屋さんがあり、そこに買いに行ったり、またこれも近くの多摩湖周辺に粘土が出ているところがあって、そこへ掘りに行ったりもしていましたね」
小学生が自分で土を掘りに行くとは驚いた。最初に作ってみたいと思ったのは、その本に載っていた桃山時代の黒織部だという。
「この形、いいなと思って。それを見て、湯呑みみたいなものを作った記憶があります。志野は、すごく難しいものだと思っていました。簡単にできるものではない、というのが、本を読んでいて刷り込まれていたのかもしれません。
もちろん、同じようにはできないんですけどね。作ってみるならこんな感じかなというものは出来ました。黒も難しそうだったので、緑の織部釉を使ったりしていました。
図工の先生には、すごくよくしてもらいました。中学生になってからも家で作ったものを焼いてもらっていました。先生自身も作るのが好きな人で、僕らに自由にやらせながら、自分のものを作っていたり。そういう方でした」
中学まではやきものを続け、その後は音楽に夢中になっていく。
「最初は兄がテープにまとめてくれた洋楽を聴いていました。父も音楽が好きで、僕が興味を持つとこれも聴け、あれも聴けと、いろいろ聴かせてくれて。主にブラックミュージックですね。ソウルとか、レゲエとか。ブラック・ウフルを聴かせてくれたのが、レゲエを好きになったきっかけだったと思います。」
それからレゲエ好きでしかわからないマニアックな話になる。オーガスタス・パブロからOnU、エイドリアン・シャーウッド等、私も懐かしい名前で会話がはずんだ。
「その後ヒップホップやR&Bも聴いていました。楽器は、最初はギターを少し触っていたくらいで、全然できていなかったんですけど。二十歳くらいのときに、ギターを教えてくれていた年上の人から『レゲエバンドをやるからベースをやってよ』と言われて。それでベースを始めました」
その間も、やきもののことは時折思い出していたという。
「高校を出たときにも、一度やきものをやろうと思って、益子の訓練所を受験したんですけど、落ちてしまって。その後は長野で野菜の収穫のアルバイトをしたり、遺跡の発掘調査をしたりしていました。その後、友達とウェブデザインの仕事を始めたのですが、リーマンショックの頃に仕事がなくなってしまって。それを期にやはりやきものをやろうと思ったんです。ちょうど二十代半ばでしたし、やるなら今しかないなと。それで瀬戸の訓練校を受験してこちらに来ました」
瀬戸を選んだのも、志野や織部を作りたいという思いからだった。
「もともとやはり唐九郎の影響で美濃陶が好きだったので、こちらでやりたいという気持ちがありました。訓練校で一年間学んだ後は土岐に住み、窯を買うための資金を貯めようと、仕事をしながら制作を続けていました。穴窯はその後今の場所に移ってから作りました。」
部屋には、やきものや美術の本も数多く並ぶ。その中でも小学校の頃に最初に読んだ唐九郎の本は、今も最も影響を受けた一冊だそうだ。
「ここにある本は『積ん読』ばかりなんですが(笑)。でも、やきものの本は色々と置いておきたいというのがありますね。唐九郎の本はその後も色々読みましたが、読みやすいですし、やはり茶盌を作るときには、どうしても唐九郎を意識してしまいます。作品はもちろん好きなんですけど、人物としても面白いですよね。ただ者ではない感じがあるというか。
唐九郎のどこに一番惹かれているのかという質問には、1分ほど考えた後
「言葉ではなかなか表現するのが難しいですが、どこか反骨的なところが好きなのかなと思います。」

今の制作については、目の前の作品を見ながら、土や焼き方の話を聞いた。
「土は、自分で掘っているものもあります。志野にも掘った土を混ぜたりしていますね。基本的には美濃の土で、自分でいろいろ調合しながら使っています。志野は土が違うと風合いが一気に変わってくるので。」
スリップウェアの表現を取り入れた茶盌もある。民藝を思わせる雰囲気と、織部の形。その組み合わせが面白い。
「こちらは引き出しではなく、冷却還元で焼いています。焼成中は割と酸化寄りで、最後に還元をかけています。作品によって土も色々と変えています
黒化粧をして、白い模様を描いて、その上から全体に飴釉を掛けています。白いところは黄色っぽく出て、黒い下地のところは黒く見えるんです。スリップウェアは、古いものが載っている本を見たりして考えました。もともと古いものが好きなんです。
美濃陶以外にも、中世のやきものも好きですね。猿投とか。形が端正だったりして。あまり一般受けはしないかもしれませんけど」
志野や織部に加えて、そうした古陶への関心が、これからどんな茶盌になっていくのかも楽しみだ。
「究極的に言うと、やきものは全部好きなんです。李朝も好きですし、備前や信楽のような焼締めも好きで、もちろん唐津も好きです。桃山陶を中心に追求していきながら、いつかは色々なことに挑戦していきたいと考えています。」

唐九郎に感じる反骨心。都さんのその言葉が、印象に残った。
レゲエには、南国の明るく穏やかな音楽というイメージがある。けれど、その根にあるのは、抑圧や理不尽に抗うレベル・ミュージックとしての精神だ。太いベースライン、切り裂くようなギター、心臓の鼓動のようなキック。彼が最も好きだという力強い「ミリタント・ビート」に乗せて、自分たちの思想を示す。そこにこそ、私はレゲエの本来の姿を感じている。
やきものにも、そうした反骨心を感じることがある。とりわけ昔の作家たちが、自分の信じるものを貫こうとする姿勢には、強く惹かれる。都さんが唐九郎に感じている魅力も、そんなところにあるのかもしれない。
部屋に並ぶレコードや、哲学、社会についての本。そして、唐九郎への憧れ。今回のインタビューを通して、それらが私の中ですべてつながった。都さんの根底にあるのは、反骨心――レベル(Rebel)なマインドなのだと思う。小学生の頃、唐九郎に惹かれたときから、その思いが彼を支え、今の作陶にもつながっているのだと感じた。