作礼山の麓で・・・岡本作礼インタビュー
by 森一馬不思議なご縁だった。もともと様々な場所で作品を拝見し、いつか取り扱わせていただきたいと思っていた岡本作礼先生。同じく唐津のマイケルマルティノさんをインタビューした際、彼が作礼先生をリスペクトしているという話を聞いた。そのちょうど翌日、都内近郊の百貨店をウロウロしていたら、偶然なんと「岡本作礼陶展」のポスターが。先生御本人もおられ、作品も直接拝見することができ、ちょうど誕生日前の父へのプレゼントを購入することもできた。しかしそこでちょっとした間違いがあり、そのことで作礼先生と直接連絡させていただく流れとなった。何か目に見えぬ力でつなげていただいたようなご縁をたどり、作礼山の麓「作礼窯」へ「遊びに行きます。」と、誘われるように伺った。
「李朝好きなんだ。じゃあ色々見せてあげるよ。」
作礼窯の展示室に並ぶ李朝家具に感動していると、作礼先生が奥からいくつかの共箱を持って来てそう仰った。刷毛目や堅手、粉引など次から次へと唸るほど美しい李朝茶盌が筆者の前に並んでいく。工房にお邪魔して5分と経たないうちに、あっという間に筆者は茶碗に囲まれてしまった。「自分の作品を売った稼ぎはほとんど全部李朝などの骨董に変えるんですよ。李朝って心が休まるし、私達唐津の人間にとっちゃお母さんみたいなもの、もちろん自分の勉強にもなるとね。」と仰る作礼先生。李朝から汝官窯までじっくり拝見させていただいたところで、バンダジの上に飾られている唐津井戸茶盌に目が止まる。「これは登窯の温座(通焔孔)に置かれたもので、いい味出してるでしょ。自分の作った作品を良いって言うのは何だけど、色々景色があって自分でも一番気にいってるものなんよ。」
登窯の温座に置かれ独特の景色の表れた唐津井戸茶盌。6月の特別展にて販売
唐津市内でお生まれになった作礼先生。幼い頃から美術に興味を持ち、学生時代は佐伯祐三や鴨居玲などダークな画家に惹かれ美術部で絵画を学ばれた。「高校の時に唐津市役所の陶芸クラブというところで焼き物をさせてもらったことがきっかけで陶芸に興味を持ったんですけど、絵画好きの少年でしたから、いきなり古唐津は渋すぎで。最初はやっぱり織部や志野など派手な作品に惹かれていました。ただ自分の人生の師でもある曹洞宗の和尚様が、『岡本お前唐津に生まれとっちゃけん、唐津には唐津焼という素晴らしか焼き物があるけんが、唐津焼ば勉強しろ、唐津を極めろ』と、中里重利先生を紹介してくださいました。」三玄窯と言えば非常に厳しかったと噂に聞いたことがあるが、その三玄窯に11年。「厳しかった、日本一厳しかったと言っても過言じゃないでしょう。重利先生自身もろくろは西日本一と言っていいほど上手だった。当時はまだ賃轢き(チンビキ)って言葉が残っていて、湯呑なら一日300個、お皿なら500個作らなければ食べていけないと言われている時代。とにかくろくろは徹底的に仕込まれた。でもそのおかげでものの形が見えるようになった。」と語る作礼先生が一番好きな陶芸家は西岡小十先生。「小十先生がろくろが上手いかといえばそうではなく、焼いてなんぼじゃっていう、素材と焼きで魅せる味わい深い作品が先生の魅力。そう考えると上手下手はあんまり関係なかとね。」
長い修業を経て技術は習得しておられながら、技術のみ頼らず素材から焼き味、さらに薪窯の偶然性にも面白みを感じながら作陶に励まれる作礼先生。展示室に飾られたこちらの作品にまさにその先生独特のエステティックが凝縮されている。
美しい釉調のボディから、牙のような物体が飛び出した朝鮮唐津花器。なんですかこれは!と尋ねると「登窯の温度見のため入れているゼーゲルコーンが、何かの弾みで窯の中で花器にくっついて、そのまま出てきたんですよ。こんなことはなかなかないから気に入って飾ってるだけど、これも人間では思いつかん窯の恵みやね。」と嬉しそうに語る。究極の技術を持ちながら、その歪みは補正せず、むしろ活かしちゃうの?という李朝陶工的美学をふと思い出す。
三玄窯で11年、独立後、現在の陶房である作礼山の麓に開窯。「ここに来た理由はね、作礼山という山が好きだったんです。この山の頂上の887メートルでは天然の湧き水が出て、自然環境が素晴らしい。素材に置いても土は今は車で運べるけど水は運べない。だからここを選んで登窯を作って、窯もこれまでに3度作り直しました。」
韓国、中国にも何度も渡り、今年は韓国で作陶もされた作礼先生。「唐津焼の魅力は、やっぱり当時の朝鮮陶工の何気ない、意図の無い広い作域。」とおっしゃる先生は、もちろん素材はすべて地元のものを用い、広い作域で長く素晴らしい作品を作り続けている。また「伝統は革新である」という信念を大切にされており「伝統的な唐津焼の素材を使うという基本的なことはおさえながら、常に新しいものを生み出して行きたい。当時の朝鮮陶工が今生きていたら、写しをやるかといったらそうでないでしょ。おそらく革新的なことをやっていくと思う。だから復元するとかそういったことは頭に無く、自分の素材でオリジナリティあるものを作って行きたい。」と語る。
まさに作礼先生のオリジナリティ溢れる一品、黒織部唐津円相茶盌
人気陶芸家だけに作品は常に手元に無く、なかなか新しいギャラリーとの取引は難しいと伺っていたが、やはり冒頭の唐津井戸茶盌、朝鮮唐津花器、黒織部唐津茶盌をはじめ、これほど素敵な作品を拝見させていただいて、それを皆様に紹介出来ずとあらばもはや筆者は店主失格だ。しかし作礼先生は「森さんとは不思議なご縁があったので。」と快くそれらの作品を当店に預けてくださった。
二週間後、いよいよ共箱におさまった作品が届くという日に先生から「朝鮮唐津花入には、銘を入れました。箱をご確認お願いします。」 というメールをいただいた。作品が届き、箱書きを確認すると
朝鮮唐津花入 銘「窯の幸」
かまのさち
かまとつち
そういえば窯と土の名前すら伝えていないのにまさかの押韻。どうやら作礼先生との不思議なご縁は、まだまだ繋がっていくようだ。