信楽で天目を造る ~古谷宣幸インタビュー~
by 森一馬「天目って基本、作品の出来を安定させるために電気窯などで計算を重ねて狙って作る焼き物で『えらいもんに手だしたな』と言われるようなものなんですが、僕は家に穴窯があったり、焼締めを見て育ってきたので、これを穴窯に入れて焼いてみるという、普通からしたら無謀なことを、あまり特別なこととは考えずやり始めたんです。そうしているうちに油滴が出たりするようになり、そしたらそれがだんだん面白くなってきて。もちろん歩留まりは悪いです。同じ釉薬を使っているのに、窯の中の場所など少しの違いで全く違うものが出てきますし、天目を穴窯で焼くなんて、安定した作品が取りたい人にとってはとにかく効率が悪い。でも僕は別に安定させたいわけではなく、どちらかというと焼締めを焼いている感覚に近いというか。同じものを何個も取るためにやっているのではなく、凄く良い茶碗が一つできればという思いでやっています。」
2021年オープンにした窯と土、気づけば早二年を迎えようとしている。最初はカーソルを合わせても数人しか表示されなかった『作家で選ぶ』メニューも今や下にダウーンと伸び、なんとなく数えてみたところ、なんと早くも作家が29人。いよいよ30人目の作家を紹介することになろうとは、オープン当初は夢にも思わなかった。そんな記念すべき30人目の作家に、偶然ではあるが、ある意味茶陶の頂とも言える天目茶碗を作る作家を紹介出来ることは、何となくだが非常にめでたく、なにか節目にとても相応しいような感じがする。
十人十色とは言うが、あらためて当店の作家を見ても本当に30人30色であり、どの作家も彼らなりの信念、意匠、美学を持っている。だから焼き物は面白い。そしてなぜ自分がこれほどまでに焼き物に惹かれるのか、その全てを言葉で表すのは不可能に近いが、絵画や彫刻などのアートや、漆や金工などの工芸に無い魅力が焼き物にはあるはずで、その魅力を構成する要素の一つに「偶然性」というものが、焼成方法等によりその振り幅に大小はあるものの、絶対的に存在するというのは、筆者が考える限りは間違いない。
その偶然性を出来る限り排除する作風も、逆に偶然性を取り入れ活かす作風も、それを高レベルで実践する限りどちらも否定されるべきではない。この世界にいると「やっぱり穴窯じゃなきゃ」的な話を痛いほど耳にするが、作風に寄ってはそれは正しいし、本音を言うとそうでないと感じることも多々ある。偶然性はあくまで意匠を構成するたくさんの要素の一部であって、なんでもかんでも自然が解決してくれるわけではない。それよりむしろ大切なのは、その偶然性という武器を、どの作風に取り入れるかであって、アートである以上新規性は不可欠であるからこそ、定説とは違う手法でその偶然性を取り入れ作られた作品等には、我々のレーダーは異様なほど反応する。
少し前置きが長くなってしまったが、冒頭の古谷宣幸氏のインタビューの一コマ、なぜ古谷氏の天目作品に惹かれたのか。特に天目作家を探しているわけでもなかったのだが、現代作家の作る天目を見た中で感じたことの無いものを、偶然目にした古谷氏の作る油滴天目、黃天目に感じ、強く惹かれた。筆者は先入観をなるべく持たないよう、会う前に作家のことをあまり調べないようにしているのだが、古谷氏の作る天目作品に惹かれた原因の一つが穴窯焼成だったんだなと、作家の元を訪れて腑に落ちた。
古谷氏が天目に初めて惹かれたのは、信楽を代表する陶芸家であり、お父様でもある古谷道生さんの私物であった天目茶碗を見た頃から。「父親のコレクションの中に鎌田先生(鎌田幸二先生)などの作品があり、そういった作品に衝撃を受けまして。また、京都の釉薬を教わった先生も天目が専門の先生で、それで大学時代に天目を作り出して、自分の卒業制作も天目茶碗でした。」
卒業後に車で日本一周窯業地の旅へ。「瀬戸赤津の職人さんの轆轤さばきや、唐津の中里先生の轆轤とか、家で見ていない仕事を見ることが出来て刺激的でした。それで信楽に戻って蹴ろくろなんかの練習をしているときに、中里先生が信楽の陶芸の森でアーティストインレジデンスをされるから、見においでと声をかけてもらって。そこで先生に蹴ろくろを教わって、その晩に先生と一緒に飲んで、そこで『アメリカ一緒に行かない?』と誘っていただいて。
その後中里先生のアシスタントといった形で、先生と世界中を飛び回る。
「先生は一年の半分はアメリカで作陶されていて、またデンマークや、あと先生の師匠だった小山冨士夫先生の花ノ木窯へも毎年行きました。お手伝いをするだけではなく、色々教えてもらったり、また僕たちも一緒に作陶させてもらって、凄く良い経験をさせていただきました。」
何年かそういった活動をされた後、信楽にて独立。日常の器を作りながら、天目茶碗に取り組んだ。そこで冒頭の話、油滴天目を穴窯で焼成し、独自のスタイルを築き上げていく。
「油滴天目に関しては、そもそも中国では兎亳盞という黒釉陶(禾目天目)を量産していて、何万と焼成する中で、焼き損じが生まれ、それを二度焼きしたら油滴が生まれたのではないかと考えています。いろんな方にアドバイスをもらったりしながら自分なりの焼成方法を確立した上で、後になって当時の中国ではこうだったんだろうなと気づいていきました。」
冒頭で繰り返し述べてきた偶然性。天目の起源であったり、例えば井戸の梅花皮、李朝の歪みにせよ、我々は歴史を辿っても焼き物の偶然性に美を見出し、それが他のアートや工芸には見られない焼き物ならではの価値の一端を担ってきた。諸説あるものの、その偶然性の産物とも言える天目茶碗を、偶然性を排除し計算を重ね再現していくのではなく、ご自身のバックグラウンドである信楽的な焼成方法を取り入れ、一つの焼き物として作り上げていくその姿勢が生み出す作品に筆者は惹かれたのだろう。古谷氏の作り出す天目作品は、非常にクリエイティブであり、奥深い。
クリエイティブといえば、工房から穴窯の方を見渡すと、なにやらカントリー調の建物が。
なんと古谷氏ご自身がDIYで作り上げたらしい。「学校帰りに子供たちが寄るようになって、子供らの秘密基地みたいになってるんですよ。自分で作ったものが喜んで使ってもらえると、器であってもこういう小屋であっても嬉しいものですね。」
まさに生粋のアーティスト気質、古谷宣幸氏の挑戦は続く。