本歌襲来「井戸Supreme」 ~金宗勲インタビュー~
by 森一馬「韓国で井戸茶碗の再現に成功した作家が大きな展覧会を開いた」という噂は、窯と土をオープンする前から聞きつけてはいたが、井戸は韓国で造られたものの、利休が見立てて日本の茶文化とともに重宝されてきたという観念に縛られていた筆者は、国内の陶芸家以外の作る井戸に当時それほど興味を抱くこと無かった。しかし数ヶ月後、その「大きな展覧会」の出品作の写真を見る機会があり、それを見るやいなや筆者の観念がいかに愚かなものであったのか気付かされることになった。
金宗勲(キムジョンフン)さん、韓国と日本を行き来しながら京畿道(キョンギド)にて井戸茶碗を研究し、復刻させたと本国で評される陶芸家。行き来といってもその数50回以上。美術館や個人蔵の井戸茶碗を片っ端から見て触り、韓国に戻り研究、それを15年年近く繰り返し完成させた執念の井戸茶碗は、人目見て崩れ落ちるほど魅力的な、まさに本歌の井戸茶碗。艶めかしく光を放つ深い釉薬に包まれた琵琶色の茶碗は、美術館に収蔵されている江戸時代のそれそのものだ。そんな金先生の作品が、今回満を持して上陸。早速オンラインで取材させていただいた。
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なぜ茶碗に興味を持ったのですか?
大学時代、檀国大学校の陶芸学科に通っていたのですが、軍隊を出た後、大学三年生の時に茶碗の授業がありました。ちょうど韓国でみんなが陶芸に興味を持ち始めた時期で、そういった流れに乗ったのか私は茶碗に興味を持ち始めました。
最初から井戸茶碗に興味があったのですか?
はい、形やストーリー、フィーリングにすぐに惹き込まれました。それで大学卒業後、実際に自分で井戸茶碗を造ろうと研究を初めると、ストーリーや歴史など授業で教えられたことと違う部分があると感じました。それで色々と確かめ、研究したいという思いで日本に来ました。当時は今と違って日本の情報はなかなか入ってこない上、観光ビザは滞在期間が最大で15日間だった(現在は90日)ので、日本に行って15日経ったら韓国へ一度帰り、また日本に15日行ってと、色々と大変でした(笑)
ストーリーの部分ですが、日本でも井戸茶碗は当時韓国で造られたマクサバル(雑器)だったという話が言われておりますが、先生はどのようにお考えでしょうか?
私はマクサバルとは思いません。まず雑器であれば、韓国のそこら中を掘れば出てくるはずです。また、私の作品には細かく多角的な貫入(日本では魚子貫入とも称される)が入っていると思います。このような貫入は井戸茶碗のエステティックの重要な一つだと私は考えますが、日本で見たたくさんの名碗の中でも、全ての名碗にこのような貫入が入っているわけではなく、いくつかの作品にしか見られません。なぜなら研究によると、この小さい多角的な貫入を造ることができた窯は当時一つしかなかったようです。その一つの窯が、わざわざ難しい技術を使ってあのような美しい貫入を、その辺で適当に使われる雑器のために作ることがありますか?そう考えると井戸茶碗は決して雑器ではなかったと思います。制作された時代も言われているのとは違うと思っています。
なるほど、面白い。
そして確かに、先生の作品はリズミカルで多角形の魚子貫入が見られます。
三角、四角でなく多角形の貫入を造ることは井戸茶碗を形成する大切な要素だと思っています。多角になると貫入が直線的ではなくなるので、柔らかさが感じられると思います。
日本で作陶したこともありますか?
はい、何度かあります。常滑で鯉江良二さん、吉川正道と一緒に制作したこともあります。福岡の渡仁さんとも交流があります。信楽にも行きました。茶道も学び、そういった経験が井戸茶碗を造る上でとても大切だと思っています。
窯はどのような窯を使われていますか?
登り窯を使っています。3部屋ある登り窯で、20-24時間焼成します。
土や釉薬は日本のものと全く違うように感じられます。これらは全て韓国のものですか?
はい、全て韓国のもので、井戸茶碗の研究を始めたころから、合う土や釉薬の原料を求めて韓国中を探しました。それで良い土に出会い、7-8年土を熟成させています。簡単に手に入る精製された土とは全く違う趣を得られると思います。
先生は2020年に韓国ソウルで大規模な展示を行っています。そのコンセプトを教えてください。
コンセプトは「黄中通理」この大規模な展示を行う際、私は2013年に根津美術館で行われた、76個の代表的な井戸茶碗の展覧会へ行った際の興奮を思い出しました。同じように私も3年間かけて作陶し、出来の良い76個の井戸茶碗を展示しました(作品は全て完売)。登り窯でたくさん作っても、実際に作品として世に出せるのは数点のみ、形や貫入、フィーリングが良いものだけを選んで発表しています。
最後に、井戸茶碗を造る際に大切にしていることがあるとすれば教えてください。
ただ形を作るのでは昔のものの複製になってしまいます。井戸茶碗がこのように日本で国宝とまでなった過程と結果を学ぶことは大切でした。私は茶道を学び、陶工と茶人の関係を模索しました。陶工によって器が作られ、それから茶人によって抹茶が点てられ、武士は戦に行く前、最後になるかもしれない命の一杯としてその碗で茶を飲みました。そういった過程を経て、月日が経ち井戸茶碗という作品が仕上がります。茶が染み込むとともに、歳月が流れ茶碗に刻まれた記録と記憶を私は表現したいと思っています。私は自分でお茶を点て、茶碗を育てることもしますが、いずれ作品は私を離れて使う人の元へ行きます。私は絵画で言えばキャンバスを作っているだけ、色を塗って完成させるのは作品を手にしていただいた方々です。そういった気持ちで作陶しています。私の茶碗でお茶を楽しんでいただけたらとても光栄です。
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古代中国の書物、易経に書かれた「黄中通理」は、五行の中心の色である黃は、青竜の青、朱雀の赤、白虎の白、玄武の黒、他の四色と条理をもって通じ合っているという意味だ。その言葉を記念すべき自らの展覧会のテーマとするところに、作家の井戸茶碗に対する姿勢や哲学が表れている。時代を超え、国を超え、陶工や茶道、武士などの位を超え、万人から愛される井戸茶碗。作家と使い手がつながる場所として、その琵琶色の器は存在し、時代を刻み続ける。我が国の文化に大きなリスペクトと情熱を持って触れ、学び、そして今もその炎を燃やし続けてくださっている金先生に、心から尊敬と感謝の意を表したい。
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