ウクライナ人陶芸家、ポールフライマンインタビュー
by 森一馬まさに戦火の真っ只中であるウクライナから、3ヶ月弱かけて作品が日本に届いた。ことの詳しい経緯、筆者の想いは作家インタビューの後に掲載するとするが、正真正銘ウクライナ人陶芸家による素晴らしい作品を今、窯と土で販売できることを大変嬉しく思う。
ウクライナ人陶芸家ポール・フライマン(Paul Fryman)は、陶芸歴20年以上のウクライナを代表するベテラン陶芸家。彼のインスピレーションはまさに日本、我が国の陶磁器だ。日本の陶磁器に影響を受け陶芸を作り始め22年。現在はウクライナはポルタヴァ郊外に薪窯を築き、陶芸家を志す若者を指南する学校Pottery Park(ポタリーパーク)を主催する。そのpottery Parkで最も有望なポールの一番弟子で、すでに本国で陶芸家として活躍しているのがミハイル・トヴストス(Mikhail Tovstous)。今回当店では、この両作家の作品を販売する。
筆者はコロナ前までは毎年ウクライナに行き、多くのウクライナ人に大変世話になった。本年のロシアの侵攻拡大により、ウクライナに寄付するだけでなく、窯と土で何かできることは無いかと考え、持続的にウクライナのアーティストを支援できる方法を模索した。そんな時、ポール&ミカエルの作品を目にし、まず彼らの日本的なエステティックに強く惹かれた。陶芸という大きな括りであれば、オブジェや花器を作る素晴らしいアーティストはヨーロッパにもいるが、日本的な陶のアプローチを感じられる作家を探すのは本当に難しい。そんな中まさか、ピンポイントでウクライナにそういった美学を持った陶芸家がいるとは、夢にも思わなかった。彼らなら今だけでなく、今後も継続的に当店で紹介できると感じ、すぐに連絡し、今回販売に至った。ポールがインタビューの間何度も口にする言葉「侘び寂び」を、ウクライナの土から造られた彼らの作品から感じ取り、平和を願うことが何より彼らの助けになる。主催であるポールのインタビューを下記に掲載する。
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いつから陶芸を始めたのですか?
2000年頃に突然、粘土で何か作ろうと思って始めたのがきっかけで、すぐにそれに熱中し、今まで続けて来ました。キャリアは22年になります。
薪窯を使い始めたのはいつ頃ですか?
初めて1年後には薪窯の方法を学びました。ですがなかなかできる機会が無く、2010年に薪窯を作りたいと場所を探しはじめると、導かれたようにこの美しい場所を見つけることが出来ました。ここには私の最愛の家と素晴らしいインスピレーションの源、この信じられないほど美しい風景があります。大都会からここに引っ越して以来、私の人生は一変しました。スローライフでより集中して陶芸に没頭できる、最高の場所です。
現在薪窯はどれぐらいの時間焼成しますか?
ほぼ一日かけて焼成します。しかし近い間に窯の構造を変えて、3日間以上焚けるように進化させたいと思っています。より長い時間焼成が必要な作品を作りたいと思っています。
あなたが住む街はウクライナのどのあたりでしょうか?
私のスタジオは、美しい景色に囲まれたオリル川の渓谷にあります。ブルティと呼ばれるとても小さな村です。50マイルほど離れた場所に大都市のポルタヴァがあります。
あなたの作品からは侘び寂びを感じますし、日本の陶芸から影響を受けていると私は感じます。どのような方から影響を受けていると感じていますか?
はい、もちろん、私は多くの日本の陶芸家の影響を受けています。鯉江良二さん、荒川豊蔵さん、佐竹晃さん等好きな陶芸家はたくさんいます。しかし主に影響されているのは、特定の作家や特定の作品というよりも、日本の伝統が持つ共通点、要するに侘び寂びの美学と哲学です。素材に内在する自然そのものを引き出すプロセス、作為的でない自然そのものの美しさを表すこと。そういったものを日本の陶磁器から学びました。
日本の茶道文化に興味がありますか?また、抹茶は飲みますか?
はい、もちろん、私は日本を含むアジアのお茶文化に長い間興味を持っています。もちろん抹茶も飲みます。お茶碗を作る際にお茶を点ててみる、飲んでみることは非常に重要です。機能的であるということは非常に大切なことだと思っています。
今はウクライナにとって非常に困難な時期です。このような状況でいつものよう制作はできるのでしょうか?
私は最近も作品を作り続けていますが、これまでほどのペースでは作ることが出来ていません。どうしても色々な情報が入ってくると、土に集中するのは難しいと感じます。一方で、ろくろで作業することは、内部のバランスを維持するのに大いに役立ちます。私たちは比較的安全な地域に住んでおり、私たちから最も近い戦線までは少なくとも100マイル離れています。現在、ハルキウに住む家族が私たちと一緒にスタジオに住んでいます。彼らは爆撃から逃れるために避難しました。ハルキウ市は戦争でひどく苦しんでいます。
窯と土で、日本で初めて作品を販売することはどのように感じていますか?
窯と土のギャラリーで紹介されている作品は素晴らしい作品ばかりで、私の作品がその中に含まれることは、私にとって大きな幸せです。私の陶芸が私の作品に影響を与えた国である日本への招待を受けたのはとても嬉しくて、誇らしいことです。作品を一人でも多くの方に見ていただきたいと思っています!陶芸で世界が繋がって、戦争が無くなる日々を祈っています。
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上でも述べたが、筆者は2020年まではウクライナファッションウィークの招待により、毎年2回キーウに行っていた。ウクライナのファッションウィークのホスピタリティの良さは、ファッション業界人の中では有名で、またウクライナファッションにおいても、欧州で名の通ったブランドも少しずつ出てきていた頃。今年はどんなブランドが出てくるかと、毎年2度キーウに行くのが楽しみで仕方なかった。
そんな中今年2月に起きたロシアの侵略拡大。ウクライナのデザイナーや友達からは毎日悲痛なチャットやメッセージが届き、話を聞いてあげることしか出来ない悶々とした日々が続いた。考えれば考えるほどやはり、戦争で不幸になるのは常に民間人。国家間でどちらが悪かろうが悪くなかろうが、自由を奪われ生活を苦しめられるのは国民。結局我々にできることは、苦しんでいる民間人をいかに直接支援できるか。
しかし彼らの素晴らしい作品を発見したは良いものの、戦争中のウクライナから作品が届くかどうかすら分からない。船で来るのか、陸路で来てどこかから空路になるのか、全くわからない。ポールも「正直言ってどれだけかかるか予測出来ないし、戻ってくる可能性もあるがそれでも良いか?」と。もちろん、ロスしたならそれは寄付ということで構わない。もし1年経ってでも届いたら、すぐに窯と土で販売させて欲しいと。
待つこと2ヶ月半、作品は届いた。戦時中のウクライナから届いた作品は厳重に梱包され、可愛らしい絵葉書が添えられていた。
実はウクライナは肥沃な土地柄、陶芸の原土が取れることで有名な国でもある。彼らは陶土やストーンウェア等を使って様々な作品を作っているので、あらゆる手段でウクライナの土を手に入れているが、時にオレル川近郊で自ら土を堀り、その土を素に作品を作っている。灰釉を用い、薪窯で焚き、できる限り天然にこだわるエステティックは、全て日本の陶芸から学んだものであると言う。遠く離れた土地で生まれる、どこか身近に感じる彼らの作品を手に取り、少しでも早く戦争が終結し、平和が訪れることをスタッフ一同心から祈っている。