備前名家のリアルレジスタンス 伊勢崎陽太郎インタビュー
by 森一馬作品を目にした瞬間、「広めたい」という思いを超えて、「自分がやらなければならない」という不思議な使命感に突き動かされる――。ファッションバイヤー時代から時折訪れるその感覚を、まさに呼び起こしてくれたのが、今回ご紹介する伊勢崎陽太郎氏の作品だ。コンセプト、時代感、トレンド、斬新さ、NFT、そして「本物」であること――そのすべての要素を的確に押さえたうえで、さらに彼自身に極上のバックグラウンドストーリーが存在する。80年代のポップカルチャーとアニメ、大量生産と消費社会、そこにNFTやAIといった現代のキーワードまでもが加わり、それらが備前の伝統的な「一点もの」の造形に収斂する。そのクロスオーバー感こそ、彼の作品の真髄である。
「生まれたときから備前焼に囲まれ、いわゆる『作家もの』が当たり前の環境で育ちました。幼い頃から窯焚きの手伝いもしており、作品のゆらぎや味わいを当然のように『良いもの』と信じ込んでいました。ただ自分はアニメや漫画が好きで、中学生のころにコンビニの一番くじで大好きだった『ジョジョの奇妙な冒険』のくじを引いたところ、マグカップが当たりました。それまで器=備前焼という固定観念があった自分には、好きなカルチャーと器が共にある事に感動し、またカップや取手の造形が強く印象に残ったんです。その経験がずっと自分の中に深く残っています。」
真逆である。基本的には――私自身もそうだが――ある程度の年齢に達してから「作家もの」に惹かれ、その味わいに感動するのが常であろう。ところが彼は、大量生産のマグカップに感激したという稀有な体験を持っている。その経験は、のちに転写プリントとして自身の作品の核を成すに至り、現在の作風の根幹へとつながっている。
「アニメや漫画が大好きで、さまざまなことに関心を持ちながら育ちましたが、学生時代には陶芸家を志すといった明確な目標はありませんでした。とはいえ伊勢崎家の長男という立場もあり、どこかで使命感はある一方、外の世界に出たいという思いも強くありました。そうした経緯から、最終的に京都精華大学の陶芸科へ進むことになりました。」
京都へ行く条件として、卒業後は父である伊勢崎紳氏に弟子入りすることを約束していたという伊勢崎陽太郎氏。自身も在学中に陶芸を学ぶうちに、むしろ自分は備前焼の基礎を知らないのではないかと感じるようになり、卒業後はその原点を学ぶため、紳氏のもとに弟子入りした。
「弟子入りして一年目はとにかく色々と覚えるだけで手一杯でしたが、2年目になり色々と思考する時間が増えだした頃、ちょうどコロナ禍になってしまい。周りがテレワークになったり、世界がガラッと変わる様相を見せた中で、昨年と全く変わらない日々や、変えられない備前焼の伝統の前に、これで良いのかと思うようになり。時代に合わせて変えなければならない部分もあるのではないかという疑念が自分の中で大きくなっていき。そしてそんな中弟が東京藝術大学大学院の彫刻科を受験し、合格したんです。自らの力で道を切り拓いた弟の姿を見て、『やはり自分で動かなければいけない』と確信しました。」
名家の長男であり、後継ぎとしてそこでやり続けることが当然と見なされていた陽太郎氏。我々には理解できないほどのプレッシャーと苦悩に押しつぶされそうな日々を過ごしながら、自分で切り開くという気持ちはやはり固かった。
「決意を固めてから、まず家を出る日を決め、そこから逆算し、1年半かけて準備をしました。出ていってやっていけるだけの蓄えや、それからどうするのか、様々なことを考えながら時は経ち、家を出てから多治見の意匠研究所へ入学するまでの半年間は、弟のところに世話になりました。その半年間東京に住んで、藝大の作家をはじめいくつかの現代アートの展示へいったり、またNFTに夢中になったのもその頃でした。そこで自分の世界が少し広がったような感覚がありました。」
今回紹介させていただく陽太郎氏の作品は、AIで生成した画像や、自らのiphoneのギャラリーをまとめた画像を転写して造られている。
「やはり先程お話した、一番くじのマグカップを手にしてから、転写が自分の中で強く残っていて、意匠研の先生にそれを相談したら、転写をやっている企業を紹介していただくことができ、それで転写ができることになりました。自分の中で伝統と最新の現代を融合させたいという思いがあり、また自分はNFTを突き詰めていく中でAIやChatGPTもこれだけ流行する前から使っていました。アニメや漫画で育ち、また自分を含め現代人は多くの時間をスマートフォンと共に過ごしています。そういったことを考える中で、自分のルーツと今の日々や趣味趣向が重なり、自ずと今の作風へと繋がっていったんだと思います。」
コロナ禍の頃から叫ばれていたシンギュラリティだが、今や現代人にはそれは当たり前のこととなっている。陽太郎氏は逆に、そんな時代だからこそ自身のルーツを見つめ直す。
「やればやるほど、AIってすごく陶芸に近いなって思うんです。陶芸、とくに自分が子供の頃から知っている穴窯なんかは、いったん窯に入れてしまえば、もう自分の手から離れて自然に委ねるしかない。どんな景色や色合いで現れるのか、最後までわからないんです。AIもまさに同じで、言葉やツールでさまざまな指示を出しても、最終的に何が生まれてくるかはAIに委ねるしかない。思い通りにならない部分も含めて、偶然性や予測不能さを抱えている——そこに、まるで窯変のような面白さがある。だから私は、AIはひとつの「窯」だと感じるんです。」
アヴァンギャルドで人と異なる作風を見ると、ときに作家の恣意や演出めいたものを感じたり、悪く言えばどこか不自然に思えることが多々ある。けれど伊勢崎陽太郎の作品を前にしたとき、そうした違和感はまったくなく、むしろ伝統的な作風とまったく変わらないものとして私は認識した。それはきっと、彼が備前という土台を離れただ奇をてらったことをしているのではなく、しっかりと思考を重ねたうえで、自らのルーツとAIなどの最新ツールとを結びつけ、作品を生み出しているからだ。様々な思いを抱えながら、それでも自分のルーツを否定せず、むしろ備前焼へのリスペクトと愛すら感じる彼の姿勢こそが、この新しい器を生み出す原動力となっており、そういったことを作品を手にする皆様に感じ取っていただけたなら幸いである。