【小町艶技】加藤真美の現在地
by 森一馬2月1日に発売される『炎芸術』の特集「世界で輝く日本陶芸」にて、ギャラリー推薦作家として、私は加藤真美さんを推薦した。フランスでの活動を起点に、スペインをはじめとするヨーロッパ各地、さらにアジア、アメリカへと活動の場を広げ、昨年はニューヨークのDAIICHI ARTにて個展を成功させている。
私が真美さんと出会ったのは、今から3年半ほど前のことだ。
当時、当ブログで最初に紹介した際の表題は「穴ぼこフェチの不思議ちゃんが創り出すフロストワールド」と、今思えばずいぶんと遊びすぎたものだった。しかし、その文章を読み返してみてもわかるように、当時の真美さんの意識は、強く「器の内側」へと向かっていた。
私自身、最初に作品を見たときに惹かれたのは、見込みの深さや広がり、そして包み込むような造形力だった。器というなんとも言えない造形へのこだわりがはっきりと感じられたことを覚えている。
「そうですね、あの頃に比べると、意識は外に向いてきたと思います。というより、土に任せられるようになったのかもしれません。例えばこの『サクヤヨノハナ』は、最初は茶盌を作ろうと思って始めたんですが、土が外へ外へと導いていったという感覚があって。こうしなきゃいけないという自分の理性よりも、導かれた土の風合いを活かしたいという気持ちに従っていったら、飲み口がなくなっちゃいました。」


今回出展される茶盌「宵宮」と、器「サクヤヨノハナ」、茶盌こそが陶芸における頂点であると信じてやまない我々にとって、サクヤヨノハナの登場は、正直に言って非常にショッキングな出来事だった。飲み口はなく、口縁は増殖し、茶巾も通常のかたちでは通らない。しかし、飲めないわけではなく、使えないわけでもない。それでいて、造形も色合いも申し分なく、「宵宮」と並べたときの佇まいは、堂々とした風格あるものだ。これはもうどちらも、This is 茶盌、と言って差し支えない存在感がある。
「そのサクヤヨノハナの外向きな感覚が、さらに上へ行ったのが『アイリス』です。
上に伸び上がりたくても、どうしても重力があって、器を宙に浮かせるわけにはいかない。でも、そうした自分の中の気持ちが、かたちとして現れたんだと思います。」

かつて、器の内側へと深く沈み込むように注がれていた偏愛は、たくさんの海外での展示やワークショップ、旅など多様な経験を経て今、外へ、そして上へと向かっている。そして特にサクヤヨノハナは、私自身にとっても大きな問いを突きつける存在となった。茶道具を扱う身として、最重要ではないにせよ、長く大切にしてきた「用」という価値。それを思い切って取り払った作品のほうが、ある意味で、従来の茶盌以上に茶盌らしく見えてしまう——そのジレンマに私は正面から向き合うことになった。思い悩んだ末「サクヤヨノハナ」は表記としては「器」でありながら、茶盌と同格の価格で販売することを決めた。
そんな折、たまたま目にしたYouTubeで、元名遊撃手の石井琢朗コーチが「いろんな打撃理論があるけど、突き詰めたら結局、来た球バーンよ」と語っているのを聞いた。その言葉を聞いたとき、ふと、腑に落ちるものがあった。
器も、きっと同じなのだと思う。
理屈や定義を越えて、最後に残るのは、その存在が美しいかどうか。使われるためのかたちと、それを越えようとする造形。その狭間で、作家は迷い、試し、時に踏み越える。そのせめぎ合いがあるからこそ、茶盌は茶盌たり得るし、いつまでも面白い。
加藤真美の現在地は、私にとってもまた、外へ、そして上へと進むための新たな道しるべとなった。